たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

喜怒哀楽が、矢印で書いたら見事にバランスのよいひし形になる日曜日

風邪引きの重たい頭で、上半身をナメクジのように伸ばして、朝方つけっぱなしのこたつを切る
夜中に何度も目が覚めてた理由が、これだったかと知り、ムショーに腹が立つ

一見、根拠がない様でも、繰り返し感じたり、身体が行動したり、口走ったりしているときは、いつもじゃないけど、理由があるときが多い
理由が後からわかるので、説明がつかず、しばしば「自分だけのものに留めるほかないな」とあきらめるんだけど

とにかく、自分に非がないと思うと、すぐに‘怒’に変わる
人の部屋に長いする上につけっぱなしなんて!って怒のベクトルはぐんと成長する。ただし、これは表面化せず、内界に対しての方向で
これが外界に対して発せられるときは、もう少しマシな言い方で追い払えないものか、と思うけど(例えば、「勉強したいから、居るなら静かにして」とか)、「勉強するからあっち行って」とか、電気をパチンと切ったりと、ヤーーな感じで告げる

日曜の朝はまず、怒で始まった

怒の次は、一年ぶりくらいに瞑想をした。30分くらいだったけど、怒のエネルギーが変換されるのをまちがてら、同じ時間がんばっている人を祈って

そもそも、私の感情の中で一番変換できて、面白いのは‘怒’のエネルギーで、おかげで怠惰で放置されていたものが、次々と片付く。これが、外界に向かっての方向に表面化された、形を変えた‘怒’のエネルギー。涙に変えられる時もしばしばある

とにかく、朝入ってきた同居人に全身で、アンタの顔を見るのもヤダ的態度をとって、もくもくとそれまで全然手につかなかった作業が進む
それで、しょぼんと出て行く彼女を目玉でない眼で見送って、それからすぐに「今日彼女が死んじゃったらどうしよう!」追いかけていってらっしゃいを言おうか迷った

その後で、昨日のびわ茶で長崎を思い出し、長崎の人に手紙を書き、生田卍のMDを聞いて、声をあげて泣いた
長崎が恋しいのと、もう自分がわけわかんないのとで

煎じていた葛根湯、はるかもガスつけっぱで、別な同居人に教えてもらわないと噴いていた。その子は、やさしく「気をつけ~」って言ってた。


大雨といっしょに大粒の涙を流した後は、これまたいろいろあって、(中略)
丸3日以上も家にいたんだから、ちょっと外に出るかと、「ことばと出会う」のワークショップにでかける



今日のW.S.のテーマは、私的辞書
自分がその単語を説明するとしたらどう書くかを書く