たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

○○貧乏のつづき

最初いちいちひっかかっていたんだけど、先日ランチに呼ばれて、その話について詳しく聞いた後からは、こうしてうまく彼の意図を説明することはできないが、なんとか(私は自分の言い方を変えるつもりは毛頭ないが)、自分があくまでもこの位置にいて、そこからは逃げることも避けることもできないと意識する。つまり、自分の考えからはるか遠いところに当事者の考えがありうるということを意識していこうと思った。

その後、いろんな講演会や人との会話の中で、「後進国」が出てくると、前ほどイラつかなくなったけど、いちいち「あなたはどういう意味でその言葉を使っていますか?」と聞きたくなるようになった。
えらいこっちゃ。


昨日で終わった彼氏のティベット写真の「十人十色写真展」参加についても、タイトルを決めるのに、キャプションを書くのにエライ何度も悶着がありました。

何しろ彼は全く写真を出したくない人。私は、出して物を言いたい人。

私は機会があれば、ティベタンと一緒に“フリーティベット”と叫びたい人。彼氏は中国政府よりであるのも、私みたいであるのも嫌な人(←彼氏についてはすべて推測。わたしゃ彼自身でないのではっきりとはわからん)。
結果、キャプションの全くない、でも地図だけ書くに至った。
中国の地図の中にチベットの地図その中に自治区の地図。ほんで、そこにチャリで走ったルート。
それだけ。
「ラサ」とさえ書いてない地図。
(私が東ティベットという言い方をしたことに全ての発端はある。が、その成り行きについては、うまく説明できる自信がないので割愛する。とにかくティベット自治区という言い方はとってもおかしいことらしいのだ。)


写真なんて、絵や他の芸術と同じで、出す側の意図なんてのとは、全く別に、時には無縁に、あるいはとても意味深くつながっていたりするもんで、それはこちらが誤解を恐れたりして、引っ込めたり、縮小してどうするか!?と思う。が、そう言ったところで彼の気が変わるはずもなく・・・

そんな面白い話どうして誰にもせんの??と、耳を疑う。
そんな体験した日本人なかなかいぃひんで?そんなん知ってる人身近にはあまりいないやろー?と思う。
私は聞ける位置にいるので、どうやらおしゃべり貧乏道を突き進んでいくべきなようだわい。

彼の口が開くのを、行動を開始するのを待っていたら、日が暮れちまう。人生終わっちまう。