たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

砂漠の町から連絡ありました。

砂漠の町から連絡ありました。
生きていました。

出発してから一度も連絡がなく(連絡を取る手段がそもそもないところ。人がいないところなんだからあたりまえ)、私の方も、ここまで近い関係になれば、何かあったらきっと分かるだろうと、根拠のない自分の直感を信じて、おおらかに楽しく暮らしています。

同時に、死ぬ可能性を普段よりも強く感じているので、留守中は生死について敏感です。

この前、自分がお母さんになることと自分が死ぬことは、大差がないかもしれない。と今は思っている。(どちらも、「今の自分の状況と全く違う状況になること」という共通項がある。)というようなことを書いたけれど、
それはつまり、いつか自分もお母さんになりたいと思うように、死に対して恐れなくなった。ということを意味しています。

小さい頃、死が恐ろしくてたまらなかった。
地球環境問題は、私の死や地球の死(自分とほとんど同じもの)だと捉えていて、泣けて泣けて仕方なかった。

他者の死は、自分のそれとは全く違うものとして(私の中では)意味付けられているので、まるで扱えないし、身の周りの人の死はつらくて悲しくて、これによって自分は年をとるんだと考えいてるけれど。
その人がどういう死に方をするのか(あるいは死へのプロセス)や、私がその人の生き方にどう関わったのかで、変わる。とも考えているけれど。

ひとまず、ひとくくりにできない。

だけど、いつお母さんになってもいいように、今をさんざん楽しむということ、自分の向上心に任せて行動したり(お母さんになっても向上心はあるやろうけど)、自分のやりたいことをやりたいときにやりたいだけやったり、思うままに行動したり、全てを自分の時間として使ったり・・・という、今のこの生活は、
こどもがいなければ(守るべき特別なものがなければ)
いつ死んでもいいような生き方と直結しているように思えてならない。

悔いなく生きるというか。

たとえば、人生をひとつのタペストリー(を作ること)としたときに、

私は、中心からぐるぐると端切れを合わせ縫っていってるつもり。
だから、それがどこか途中で途切れたとしても、それなりの作品になると思っている。
ひどく滑稽で、出来損ないだとしても。

だけど、もしもそれを大きな四角い仕上がりをイメージして、ここにはこのパーツ、ここにはこのパーツ、ここにはこの模様、ここにはこの文様、ここにはこんな技術を施して・・・、そのためには、このパーツを調達して、そのためにはこの縫い方を習得して・・・とやっていたら、人生が終わっちゃうんじゃないかと思うわけ。

それでも、間に合わせて、懸命に挑んだ人には、それはそれは!の大作ができるんだろうけど。

要は、未来に夢を描いて、今どんなに準備していても、いつ終わるかわからない人生において、その過程を存分に楽しんでいない限り、かなり骨が折れるんでないかと思うわけ。
叶わなかったとき(思い描いていたような文様が現れなかったとき)に、腰が折れるんでないかと。

思うに、あらゆる場面において、現れたものに、どう対処するのかが肝心なんではなかろーか。
変化の許容とは、えらく大事なことじゃないかと思う。


はるかが、彼と別れるんじゃないかと心配してくれているみなさま、特に夢まで見てくれている親友、

別居の提案はしますし、俄然やる気の私ですけど、
それは別れることを意味していないのでお気遣いなく。
Change sometimes solves a problem!
に全期待をかけているわけです。

帰国までの残り2週間ほど、生死について考え続けることになるでしょう。
砂漠生まれの女が、砂漠についてまるで知らずに、無知によって恐れおののくのも変な話なんですけど。