たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

ナナオ サカキ

年がら年中 考えてやまないことのひとつに
生きること
というのがあると思う

生きていること、しぬこと、生き方、死に方

たぶんどの時代のどの国の人も考えることなんだろうな。と思いながら、それでも、自分の頭でも考えてみる。

きょねんの今頃は、友達ががんで最期のときを過ごしていた。
それで、余計に考えた。

まだ若いんだから、死なないよ。大丈夫だよ。だなんて、希望的観測で接していられなくなった。

2008年は友達のところに赤ちゃんがきた。何人も何人も。
まだ会ったことのない子も含めれば、10人くらいになる。
だっこさせてもらう度に、きもちよくなる。


今朝も京北町の友達と赤ちゃんのところへバスででかけた。

昨晩、友達たちが帰ってから読み始めたホスピスの本は、涙と鼻水と嗚咽が止まらず、眠たいのに眠れなくて、4時くらいに眠りについたときは、目が腫れすぎてて痛かった。

腫れた目で遊びにでかけ、またバスと叡電をのりついで、今度はナナオサカキの追悼のつどいに出かけた。
『ナナオサカキの旅立ちを祝う集い』@わく星学校

ナナオサカキは、本物には9月に山水人で会った。
人間と神様の間みたいだと思った。
透き通ってて、
真白な長い髪と真白な長い髭、杖をつく姿がまさにヒトなのに、透き通ってるせいで、私と同じではないと思った。
透き通ってるのに、大地に立っていた。
地に足がついていない多くのヒトとは違って、大地に根を張って歩いていた。
大地がナナオにへばりついてくるかのようだった。
ジブリの見すぎだろうか)

すれ違うときは、つい、足を止めて、おはようございます。と挨拶をしたくなるような。
友達じゃなくったって、挨拶せずにはいられない。

友達じゃないけれど、挨拶せずにはいられない。その延長で「あいさつ」に出かけた。

フライヤーには、
駐車場はありません・・・歩きましょう、ナナオのように!
とあった。

世界中を歩いたナナオサカキ。手段は徒歩を選ぶナナオサカキ。
歩いて向かう自分に、大袈裟に感動して涙しながら向かった。


最後のプログラム、映像の上映時間に間に合った。
映画『スワノセ・第四世界』1976年制作 
監督・上野圭一 主演・ナナオ 音楽・喜多嶋修

映画の中で、ナナオが詩を読んだ。アメリカで。

If you have time to read books, walk in mountains, in the sea, in deserts.

If you have time to walk, sing and dance.

If you have time to dance, sit down quietly.


少々うろ覚えだけれど、
これは有名な詩

(引用 ナナオサカキ1983(新装版2004)『犬も歩けば』最初の頁)

へのへのもへの

無駄口たたくひまあれば
本読みな

本読むひまあれば
歩け 山を海を砂漠を

歩くひまあれば
歌え 踊れ

踊るひまあれば
黙って座れ

おめでたい
へのへのもへの
読者諸君

(引用ここまで)


一日の追悼の集いのうち、1時間弱しか滞在しなかったのに、
私には、どでかい一言をもらってしまった。

彼氏との別居計画のために、相談なしに着々と進めている荷物の分離。

if you have time to read books, walk deserts...

布団の中でも、バスの中でも、バス停でも本をだらだらと読んでばかりの私と、
今頃砂漠で凍えてるんか、乾いてるんか、おそらくチャリを押している彼と。

しかし、私は、踊る。歌う。


死んでからも、いろいろ与えてくれるナナオサカキ。
偉大です。

今のところ、私の認識では、死ぬことと母になることは似たような感じがするんですわ。
どちらも今の私には未知。
どちらもこわい。(出産って痛そう)

子どもができたら、今のように、毎日誰かとイベントの打ち合わせ。
ごはんを囲んで、2時までおしゃべり。なんてできなくなる。
今のように、日にいくつもの予定をこなすなんてできなくなる。

たぶん、死ぬことも同じように、今のようには過ごせなくなるんだと思う。

今の死に対するはるかの認識はこう。



さいごにもうひとつナナオサカキの有名な詩で



  これで十分

    ナナオサカキ

  足 に 土
  手 に 斧
  目 に 花
  耳 に 鳥
  鼻 に 茸
  口にほほえみ
  胸 に 歌
  肌 に 汗
  心 に 風
  これで十分




(2008.12.23逝去)