たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

ホームレスクリスマスパーティとCrossing Borders

今日はクリスマスイブで、
ホームレスクリスマスパーティに
大阪市の公会堂に行ってきました。

おじちゃんたちは、みんな陽気で
路上生活者にとって、
今夜の冷えは過酷だろうに
そんなことはどこ吹く風と、
ニコニコしてはりました。

私は、自分のテーブルのおじちゃんたちが
自分のチームみたいで、
歌を披露されたときも
負けるじゃんけんで負け続けたときも
とてもうれしかった。

そして、とても気楽に
楽しく話した。

そして、同時に、いつも出会う路上生活の人たちと
まるできさくに話せないことを思った。


Crossing Borders のワークショップを主催する中で
感じることと重なることがある。

それは壁の存在なのだけど。

クロッシング ボーダーズ は、デンマークで行われている
パレスチナ イスラエルの 若者、特に若いジャーナリスト、
教師のための対話の場の提供なのだけど、
ここ2年、京都でも開催している。

それは、何も、パレスチナイスラエルのような、
目に見える壁(Borders)だけじゃなくて、私たちの生活には
小さな壁や違い、垣根があるからで、目に見えない壁もあるからで。
なんだけど。

どうも、何かが違う。
そのまんま当てはめたのでは何かが合致しない。

それが何か分かるのに1年もかかった。

デンマークでCrossing Bordersを体験したときは、
日本との違いを感じた。
私にはわからないけれど、彼らははっきりわかっていた。
誰がパレスチナ人で、誰がイスラエル人か。
誰がヨルダン人で、誰がイエメン人か。

日本では、このはっきりした壁がない。
もちろん、AとBで争うとき、壁はその間にあるのだけど、
なるべくこの壁は作らないように、あってもないかのように
ふるまうのが日本人の特徴だと思う。

では、通常どこに壁があるのか。
それは、わたしたちを囲むように存在しているということ。

つまり、今回の路上生活者の方たちとの関係で考えれば、

普段、私と路上生活者の方との間には 壁がある。
AとBの構図。

今日は、私と路上生活者の方の外側に、会場の外側に壁があった。
つまり、外でイルミネーションを楽しんでいる人たちとの間に
壁があった。

内側には内側の特有の空気がある。

私たちは、空気を作る民族だと思う。
空気ができるには、その外側に確かな壁が必要なんだと思う。

これについては、長く考えているんだけど、
図を書かずに説明するのは難しいな。

また改めてこのトピックについて書こう。