たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

枕屏風と待ち受け画面

週末のイベントが終わって、少しホッとしたところ。

年末年始のことを書き留めておこう。

年末、イベントのことで、頭がいっぱいで、これではマズイと
逃避。

今回は、長岡経由で福島県の過疎化の村へ
とりあえず雪の世界で、人との交流を遮断する。

と、その前に 京都最後の日は
ビルの大掃除と忘年会を劇場を借りてやった。

クイズ大会で、なぜか正答率一番だったので、
景品はやたらともらった。

終了後 家に帰ってあわてて準備をし、
超大慌てでタクシーに乗り、
京都のタクシーの運ちゃんのプロの腕前を見せてもらった。
(って、毎回こんな出発の仕方やけど)
それで、運ちゃんとの作戦が功を奏して、なんと夜行列車に間に合う。

3段ベッドの一番上は、窮屈で、テントの中よりやりにくかったけど、
あまりの疲れに一瞬で寝てしまった。

終点は新潟
降りる駅は長岡

ながおか~ながおか~ のアナウンスで 飛び起き、
ほとんど転げ落ちるように3段ベッドから降り、
ダッシュで下車した。

なんとかセーフ。

ジーパンのチャックは、3段ベッドの上では、あげることができず、
(天井が低すぎて、寝た状態以外では、チャックを上げられない)
あーもー悲惨でした。

そして、なんとか降りた長岡駅

長岡に住む出勤前の友達と、(金銭的な事情で夜行列車には乗らない)ツレと合流した。

そして、宿のある福島県昭和町への線路が 大雪で運休していること。村全体が停電していて、宿泊客を迎えられないことを伝えられた。

そこで、路線変更。

栃尾又温泉へ。

蕎麦屋に入ると、おじいちゃんが古地図好きだった。
ツレと話があった。

飾ってある古美術について、ツレが質問をすると、
おじいちゃんは、いろいろ教えてくれた。

昔、雪の舞うこの辺では、隙間から雪が入ってきて、
朝には家の中で積っていたんだって。
それで、布団の頭側に屏風を立てて、頭が雪まみれないならないようにしてたんだって。
それを枕屏風って言うんだって。
その枕屏風に、誰かの書を張ったりして、
でも、しばらくしてそれが囲炉裏のススとかで、汚れるから
そうすると、次の絵や唄や書を張るんだって。
だから、昔の枕屏風が出てきたら、
大根のおろし汁で、でんぷんのりをはがしていくと、
何枚かはいだ後に、有名な歌人のものが出てきたりすることも
あるんだって。

それで、おじいちゃんは、だれそれさんのなにがしかを
大事に飾っていた。
ツレはそれを聞いてすぐにピンときてたけど、わたしゃもう忘れちまった。

とにかくはるかが思ったのは、
今の日本人のケータイの待ち受け画面と似たようなもんやな。と思ったわけ。

ヨーロッパで待ち受け画面にこだわる人なんてみたことない。
でも、日本人の友達は、たいてい待ち受けをいろいろ変えて楽しんでる。

赤ちゃんとか子どもとか犬とか猫とか好きな芸能人とか主人公とか・・・

枕屏風を機能性以外に自分のこだわりで楽しむ昔の人と
われら現代人も共通するものを感じたわけ。


そうこうして、栃尾又温泉で米を楽しみ(新潟ごはんウマ過ぎ!)、
36度の湯の中で1時間半ずつ田口ランディの本ばかり読み、
隣の集落のスキー場(リフト一つの小さな村のスキー場)を見にだけ行って(スキーはせず)、
前回の惨事(パソコン持って温泉宿行って、今年学習したことを書き記すぞ!と言いながら、二人ともソリティアをやり続けた3日間)の二の舞にならぬ様、パソコンを持たなかったが、結局宿のトランプと花札を借りて、ゲームしまくった。
オセロも借りたけど、ご多分にもれず、60個 対 4個 で負ける。

実家に帰って、犬のキリ丸くんと会うが、
目が見えない。耳が聞こえない。鼻も相当悪いらしく、
あまり認知してもらえず、不自由さを目の当たりにする。
その後、キリくんと話すたびに泣くはるか。

京都に戻るも、自分が何をしていたか、取り戻すのに時間がかかりすぎ、

気がつけば、イベントがやってきた。そんな感じだったわ。