たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

音楽の力 借りる

おととい、team SAKEで打合せがありました。

けども、楠木伸一さんのライブがあったので、でかけました。

それというのも、被災地に赴いても全く涙が出ず、
帰ってきても涙が出ず、
これはちょっとまずいな。と考えていたからでした。

一度、滋賀を通ったときに、涙が2粒位でました。
それは、ぐちゃぐちゃになっていない、田畑と、
きれいに並んだお墓を見たときでした。

被災地では、田畑が湖の様になっていて、その中にある車に、○や×が付いています。きっと助かった方や助からなかった方の印だと思います。倒壊した家にもわかりやすく大きく印が付いています。
お墓がくちゃくちゃで、その上に車が乗っていたりもしました。


二条河原町どん底って、ライブハウスに入ったとき、ゲストのオジョーさんが 上々颱風のこうりゅうさんの歌を始めました。
ギターの前奏の音が、本当に心の栄養になるのがわかりました。

自分がつらいとき、一体どうしたらいいのか、知っていることはありがたいことだと思いました。

関西では、もっとアートの力を発揮してもいいように思います。

これから、たくさんの人が被災地に支援に行かれると思います。
行く前に心にワクチンが必要だと、心理をやっている友人から聞きました。
帰って来てからのケアも大事です。

少し活動が軌道にのったら、ちょーさんとココさんのライブを企画したいと思いました。
帰り途、ココさんの歌声が恋しくてたまらなくなったから。


以下、私たち第2陣の報告会に来てくれた方たちへのはるかからのメールの抜粋

(とにかく、現地は人が足りていない。行けるなら行った方がいいという話の下りがあったので、そこについて触れている部分です)


私は昨晩「よっぽど自分のことが自分でできないような人は別ですが、キャンプ位できる人なら現地に赴けばいい。」
と考えていることを言いました。

自分のことが自分でできる。の意は、食べること、寝ること、排泄、交通手段、健康管理、滞在中に不便をすることに対する心構えや放射能についての判断など様々にあるかと思いますが、自分が受けるであろうショック、心の負担についても意味しています。

自分が傷ついているときに自分はどうしたいか、の考え(要求)があることも自分のことのひとつだと思います。
 たとえば、話せる相手がいるとか、詩を書くとか、寝るとか、泣くとか・・・。

おそらくみなさんも、遠く離れていても、この1カ月でとても傷ついたり、落ち込んだり、疲れていたり・・・すでにされていると思います。

一緒に行ったメンバーがどうかはわかりませんが、私自身は、帰ってきてから下痢が止まらない。朝5時2分から5分の間に必ず目が覚めて、二度寝ができない。呼吸が浅い、動悸がする。津波の夢を見る。泣けない。このことを人に話す気にならない。など、一定の印の様なものがありますが、徐々に楽になっています。私は自分に対し「そりゃそうだよ。いいよ。」と思っています。事態はナイーブになるような事態なんだから自然な反応だろうと。
(今朝は、5時に起きてから一度寝ることができました。呼吸も楽です。みなさんと昨晩過ごせたこともあるかもしれません。ありがとう。)
(注:私がしっかりしてそうに見える人は、誤解してます。いつも慌てていて、感情的でぐちゃぐちゃです。笑)


脅すつもりはないのですが、物見遊山に行くわけではなく、人助けに行くわけでもなく、自分にできることをできる範囲でするだけなんだというスタンスがちょうどいいのかもしれない。と、考えています。


町なかで人手が桁違いに足りていないのは明らかです。
私は、またすぐに孤立状態の長かった集落を訪れたいと思っていますし、仲間にも早く長く行ってほしいとも思っています。
これは、被災地では決して言えませんが、現地に赴くことは、何にも代えがたい経験になるとも思います。

ですが、誤解のないように重ねてお願いします。
余震や放射能のことご自身の心身のこと、どうか総合してご判断くださいますように。
一緒に考えることもできるかもしれませんし、装備で足りないものについては、貸出が可能です。
また、京都でもやれることはたくさんあります。

それぞれの持ち場で、それぞれができることが何かを常に考えていることは、とても大切なことだとつくづく感じています。


**メールの抜粋ここまで**