たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

死を意識して寝る

小さい頃から、寝るときっていろいろなことを考えていたと思う。
最近この世界で生きることになれてきたせいか、布団に入ってから寝るまでが早い。
死ぬのが怖くて、眠れない晩もたくさんあったように思う。
環境問題を「死」と捉えて、がたがた震えた頃もあった。高2の頃かね。

昨日の晩、久しぶりにあの感じで眠れなかった。
死ぬかもしれないことをだいぶん久しぶりに考えた。まぁ、いつか死ぬのだけれど。
誰かの死や、なにかの問題があると、それがきっかけになって、やたら深く深く考えるのだけど、日常生活では全然意識してない。
前付き合ってた、ジョージは、彼の人生で死んでもおかしくなかった戦争のシーンがあるので、それにとっくのとうにこの世界に愛想がつきて、どうにでもなってくれ!という意識があったので、いつだって、死を意識して生きていたように思う。つまりいつ死んでもいいような生き方。大事に命を使っていた感じ。
そんなん、あたしにゃ絶対ムリだね。と思ってみていたよ。
9・11の時だって、このまま第三次世界大戦がはじまるかもと思ったら,恐ろしくて眠れなかったのに、翌日の授業で「怖くない人?」という質問に、すんなりと手を挙げた人たちがいた(東欧の国の人が多かった印象が強い)。ひとりやふたりじゃなくて、かなりの人数が。
これがどういうことなのか。

前はただただ死ぬのが怖くて、眠れなかったのだけど、今は10代のあの頃よりも少し余裕があるのか、やりたいことをやりたいだけやってる毎日だからなのか、知らんけど、例えばイラクで死と隣り合わせの人たちのことや、イラクへ医療器具をもって行ったまっちゃんの行く前のキモチとか、いろんな背景があって、死のうとしている人のことや、あるいは病や飢餓や戦争で死をかいま見た人たちのことを、具体的に考える。
そして実際、それが想像しやすいだけのそういう出会いや経験が前より増えた。
前に英語版のエッセイの方で書いたけど、それにアメニモマケズはるかバージョン2003(まだアップしてないけど)にも書いたけど、「死は次の命のためにスペースを空けることだからだいじなことだね」みたいな。星野道夫の死に対して、誰かが言った言葉。
わかってないのに、言っちまったよ。と思った。
もう少し死を意識して、自分を大事に大事にしていきたい。