たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

詰まったトイレをにらむ 【死ぬおもいをして得た短い人生の教訓(注:汚いです) 】

  ここはる(乾窓院での週1の勉強会)で、「記録をすること」が話題になった。
「記録をする」というのはつまり、そのことが廃れかけていて、記録しておく必要性がでてきたということで。だから、その、全ての人が当然と思っていることについては、その段階では言語化されない。
 わかりやすいので言えば、トイレとか。むかぁしむかしの人がトイレをどうしていたのか、未だにわからないという。回虫の卵の化石とかでそこに「トイレ」があったといことはわかっても、その上がどういう形をしていてどのように使われていたのかはわからないらしい。
 なるほど!と思った。当然と思っているうちは、当然なので記録する必要がない。うちらはまだ、いわゆるぼっとん便所を知っているけれど、直にそれを想像もできない世代になるわけで。

 そんなこんなで、トイレの話題が続き、やっぱりトイレの話題は盛り上がる。というか、わたしは盛り上げるだけのネタを死ぬほど持っている。みんなの閉じこめられた話もおもしろかったけれど。

 12年ぶりに語ってしまったことがある。
 話題は海外のトイレ事情で、最初はヨーロッパのトイレはこうだったよ。と、卒論をなぜか持ち合わせていたので(ホントになぜか。)エコなトイレの写真なんぞ見せていたが、12年前アメリカはミシガン州でホームステイをしていた時に起きた事件を、思い出してしまった。
 今はどうだか知らないけれど、12歳のとき、12年前のミシガン州の民家は、トレペを便器でなく、となりの袋に捨てていた。節水のためか、とにかく勢いよく流れないので、トレペを便器に捨てると詰まってしまう。
 でも習慣といのは恐ろしいもので、うっかり便器に捨ててしまう。
 で、やってしまった。
 見事なうんちゃんをして、おしりをふいたトレペを入れてしまい、そして詰まった。
 12歳のわたしは、広いバスルームで、あちこち「カッポン」を探した。
 でもアメリカ人のそのうちにはそれがなかった。バスルームにクローゼットも洗面台もシャワーもあるのに、カッポンがなかった。
 便器をにらんで考えた。うんちゃんを見つめ、見据え、そして長い時間をかけて覚悟をし、自分の手を入れてとりだし、そして、そのトレペを入れるごみ袋に入れた。