たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

うつのみや

宇都宮に帰ってきた。
 宇都宮を出てもう7年か。早いなぁ。帰るたびに、宇都宮のホームに着いたときの第一声は「さむっ」。だっただったと思いながら、改札をにやけながらとおりすぎる。
 毎朝、あそこに立って、むっちゃん待って一緒に学校行ったなぁとか。帰りは、絶対いるはずがないのに、ひでが古河から来て、あの柱の向こうに座ってて、オッスとか言ったりして!?て、よく空想したなぁとか。
 
 実家に帰ると、誰の期待もうらぎらずに、大量の激ウマ手作り餃子が待っていた。ステレオタイプなのではなく、うちでは本当に餃子をよく食べる。そしてウマイ。宇都宮の餃子消費量を押し上げている典型的な家庭のひとつだと思う。

 一方で、7年も一緒に暮らしていないと、彼らの習性が半ばうろ覚えで、しまった。と思うこともある。
 海平が、忙しさをぬって、ドラムやらギターやらをやっていると聞いていたので、はるかもアコーディオン持っていってセッションしよう!と気合を入れていたのに、得意になって、持っていくよ~!とか口をすべらせたから、前夜に笋濃?辰討るなと言わせてしまった。
 彼らは、70年代後半から80年代のはじめにかけて、世界をうろちょろしていたこともあって、現代のほかの日本人に比して、断然危機管理/意識が強いと思われる。
 今日は仕事を兼ねていたので、何かあったときに、プライベートな荷物を持っていたら、ややこしくなるというわけ。実際アコーディオンは重たすぎて、ダッシュがきかないし、持って行っちゃえばこっちのもんなんだけど、先に言ったはるかも悪かったわけで、あきらめた。
 海平には、バカだねぇ。そんなん先に言ったらあたりまえじゃん。と小バカにされた。

 はるかはこの家にいた最後の6年間をただひたすら、気合と粘りのある反抗でむちゃくちゃにしたけれど、海平は一方で、彼らの習性をまるでゲームのように、プラスに転換して、自分自身の向上に、そのエネルギーを費やしている。


 しっかり休憩していこう。ハワイから帰ってきて、10日もたたぬうちに、また過食の傾向が見られ、皮膚がしんどいと言っている。
 誕生日の友達たちに続けてカードが書けていないのも、自分にゆとりがない証拠をつきつけられているような感じがする。

 明日の練習試合は、不調のため観に来てくれるな、と言われているが、さて、どうやって変身して、どうやってチチとハハの目を盗んで行こうか。