たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

みっちゃんの結婚式とそれについてきたもの 2

 翌朝は、朝一で、みっちぃのところに行って、裸体撮影会(ヌードというとちょっとスケベイな感じがするので、アーティスティックな響きを模索中)をした。みっちぃは、かなり満足気にはるかを100枚くらい撮っていた。後に聞いた話では、個展をするかもしれないとのこと。ダハハ。どうなることやら。
 その後で、はるかのダイスキな中通り商店街に行き、刃物やさんに行く途中で、おくんち後で、店先の幕をはずそうと脚立にのぼる家具屋さんのおばちゃんを見て、助けたところ、「下駄屋さんに行くなら、うちの名前を出したらよかよ。」と言われた。
 長崎にいる間毎冬通っていた、小田編物やさんで感動の再会をし、「あらぁ。さすがに下駄はやめたのね~」と言われるも、「いやこれから新調しに行くところ」と答える。
 下駄屋さんに行き、さきほど助けた家具屋さんの名前を言うたら、1.5割引きにしてくれた。人に親切にすると、いつか何かの形で還ってきますね。ハイ

 お昼にセイちゃんと待ち合わせて、麦ばたけへ行くと、「また帰ってきたな!」とマスターに言われる。麦ばたけは、はるかが卒論を書いたカフェ。毎日通った。終いには、はるか専用の部屋までできてしまった。
 おうちに帰って、誕生日のみっちぃのためにネックウォーマーと、同じく誕生日のまさこさんのためにマフラーを編む。これは、新幹線の中から、一寸の間を惜しんで編みつづけてきた。まさこさんのマフラーをかのこ編みで始めたことにすぐに後悔したけど、引き換えせず、行きしの電車の中では、席に着く間も惜しみ、デッキでアコーディオンの上に座って、編みつづけた。九州の人はオープンで、みんなすぐに話しかけてくる。電車を降りるときに、「お嬢さん。それでは。」と言って行った人もいた。扉のところにいたせいもあるが、「さようなら」と去っていったひとの多いこと。

 他にも、結婚式用にアクセサリーを作り・・・西川くんのギターと合わせてセッションしたり、夕飯の買出しにセイちゃんと西川くんと出かけ、チトピーでさえも、懐かしさのあまり嬉しくってはしゃいだ。ごはんを作り、みっちぃが朝のでは足りぬ。とさらに写真を撮りに来て、また編物に没頭した。