たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

味がなくなった 人のガムを飲み込む

おさななじみが来た。
栃木弁やら汚い言葉がよく口をつく。

京都に来て、みんな長期休みに長期滞在していく。

今回は、めずらしくはるかと陽子のふたりだったので、この2人ならではの、いろんなことを共有した。

年が違うおさななじみだと、どうしても、自分ばっかりが年をとっていて、相手はまだ8歳のまんま。とかいう扱いをしてしまう。おねぇさんぶるというか。年をとるに連れて、この年の差はなんでもなくなってきたはずなのに、つい、「冷房寒いとこ行くから、今はかき氷は我慢しなさい」とか、「バカ。アンタちゃんとお腹出さないように寝なさい!」とか、言ってしまう。

その点、1個しか違わない陽子とはかなり対等で、今回は、しみじみと「はるちゃんほど、変わった人(変容の幅が広い)みたことないよ。あんな意地悪で、こわかったのに、今どうしてこんなにやさしくなったの? いい人たちにいっぱい出会ったんだね」と言葉を変えて何度も言われた。

そう。わたしは、たぶんこの10年で出会った人が、本当に恵みの多い人たちだった。最初の3年より、次の3年、その後の3年の方が、出会いは深まって、広まっている気がする。ありがたい。


陽子は、「はるちゃんは、すっごい変わったけど、でも本当の芯の部分は全く変わってないよ。その部分は20年前から持っていた。」って言った。
例えばどういうところか?と聞いたらば―

「6歳くらいの頃、はるちゃんと陽子と敬子ちゃんで、ガムをかんでいたら、味がなくなって、味がないガムはまずいね。どうしようか。って言ったら、はるちゃんは、『はるか飲んじゃった。みんなのも飲み込んであげるよ。』って言ったんだよね。そして、みんなの、味がなくなったまずいガムを一挙に引き受けて飲み込んでくれた。そういう部分今もある。この20年間いつでもあった。」って。

覚えてなかったので、笑うしかなかったけど、理解できる言動なので、たぶんそうしたのだと思う。
喜んでいいのかわからない例だったけど、そのことを皮切りに、いろんな出来事を思い出した。
まるで【巻き戻し、再生】しているみたいに、すっごくリアルにいろいろ思い出した。

今のわたしは、これまでのはるかの上に成り立っていることを実感する。意地悪で、こわくって、悪いことばっかして、人に迷惑かけて、イヤ~なヤツだったことも、すべて一挙に引き受けて飲み込みたい。すべてがあってよかったと。