たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

帰る家

来週末宇都宮の実家に帰るので、ハハに電話した。
「アンタ、50年分くらいを生きている勢いね~。アタシなんて、今日したことは主に栗の渋皮煮をつくったくらいよ。キリ君の散歩と、おばあちゃんにおにぎり届けたくらい。あとはもらった10キロの栗の使い道を考えてひとまず50個の渋皮煮よ」
「なんで、はるかが活発に動いていること知ってんの?」
「だって、アンタまた書いてるじゃん。ロフト?あぁロブトか。」
「あぁ。ブログね。」
だっはっはっ。あっはっはっと笑った。
ロブトには笑えた。

正月以来帰ってないから、ちょっと楽しみ。

次の次の週末は、また連休で今度は長崎に帰る。
長崎も宇都宮もどっちも「帰る」と表現する。
「帰るよ」と言っておく必要のある人がいて、「おかえり」と言ってくれる人がいて、町に着くと「帰ってきた~」と思う。

今京都にいるけど、京都には「戻る」と表現するわけで、まだ「帰る」じゃない。いずれそうなるかもだけど。
英語なら、I will come back とか I will go back なんだから、帰ると戻るの差はあまりないけれど、私の中では大層な違いだよ。

私の人生は、「ただいまって帰るところを作っていくことだ」と半分思っているんだけど、下鴨サプライズ!(←京都の今の家)は帰るところ。京都は戻るところ。デンマークも戻るところ。でもIPC(←デンマークに滞在していた7ヶ月の間住んでいた学校)は帰るところ。

この時期、誕生日が近づくにつれて、自分が生まれたところを意識する。
高校生の頃、自分の生まれたところを全く思い出せないことに、苦しんだ。だいぶ泣いた。布団の中で震えて泣いた。
大学1年生の夏に、エコリーグの8Gのディープエコロジーのワークショップでそれが爆発して、人前でおいおい泣いた。
20の誕生日に、「そうか。行けばいいのか。自分の足で立てば、解決せずとも、なにかが変わる!」とわかった。あとはタイミングをみて出かけるだけ。もう急がない。

信じてくれる人がいるかわからないけれど、写真集をみていて、砂漠の写真に出会うとき、たまに大粒の涙がとめどなく出てくることがある。そういうとき、解説を見ると、「リビア砂漠」と書いてある。あるいは、「サハラ砂漠

自分の体が先に反応するときって、すごく興味深い。たまに怖くなる。

今週は自分だけのための時間にしよう!