たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

死を意識するとき

昨日は木曜日で、はるかが受動態となる日
いろんな人の話を聞いて、コンロにかけられたやかんのようになる
いろんなことを感じて、汗をかく
ふつふつとふつふつと、わかりそうでわからない
わからないとも思わない
なにかがもうすぐやってくる感じ
私が私でいるために、常に意識して自分を見ていたい
さぁもうじきやってこようとしているのはなんなんだろう

コンロにかけられたやかんというのは、熱で膨張した水のように、なにかが膨らんでくる感じがするのです

ひとりで過ごしているとき、たとえばチャリに乗っているときとか、ぼおーっとしているとき、頭の中はどうなっているか?という質問をよくする

高校生のときは、夜、家に帰ると、ベッドに頬杖をついて、ぼーっとしていた。ぼーーーーっと2時間くらい平気でしてた。風呂に入ってもぼーーーーっと
あぁいうのって、どうやるんだっけ?と最近は思う
ぼーってできなくなっちゃったのか?と思うくらい
友達にそのことを話したら、成長期は、身体の変化とのバランスをとるためにそれが必要だったけど、今はもうそれがいらないんじゃないか?と。なるほど

今、ホントの意味でぽけーっとできるのは、生の(はるかがすきな)演奏を聴くとき
でも、これにはいつも終わりがあるので、残念

一人でいるときは、たいてい頭ん中は文章が書かれている。自分の考えや価値観を文字でまとめている感じ
人の話を心で聴いているときは、図としてそれを受け取る
みんなのぼーの状態はみんな違う。共有するのがおもしろい

一人で長くあるいは非日常な空気で過ごすと、謝りたいことがたくさん出てくる
あの人にもあの人にも、あのこともあのことも
普段死を意識することがあまりないんだけど、(生きていることの実感はよくする。あぁ今日も生きている!ありがたいっ!あぁなんて幸せなんだ!って。あぁなんでこの人(犬)をこんなに好きなんだって)誰かが死ぬとか、誰かが死ぬかもしれないって聞くと、死を意識する

死を意識すると、少し身辺の整理ができる?
謝りたいことあるなら、今謝っておいたほうがいいんじゃない?だって、死んじゃうかもしれない。って
ちょっと旅行にでかけるからって、仕事の身辺も整理しているつもり。旅先で死んでもいいように。ってんじゃなくって、死の可能性があることの意識

今日もなぜか生かされている奇跡に感謝して、勇気を出して謝ろう
大好きな人に大好きだって表現しよう
私が私であることを意識しよう