たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

24時間耐久フラット後半戦

カフェを無理やりに終えて(ラストオーダーがいつもよりも1時間半早かった)、次の出演者が、モンゴルの十代の若い馬頭琴奏者であることに、悔し泣きしながら、それでもキモチは琵琶湖に向かってかけていた


これから徹夜だというのに、気分が高揚していて車中全く眠れない
終電で23時到着
駅で、大声で歌ったり、ホーミーの練習したり、踊ったりした。こうでもして発散しておかないと気分を落ち着けることができない

みんなはまだ走っていた。当然か

普段自分が仕切ることが多いから、こうやって指示を待つ側に立つというのは、改めていろんなことを思い返すよいきっかけ
だけど、たぶんはるかの態度のでかさと年齢と、みんなが超やさしいのとで、あまり指図されることもなく…。結局後ろで、普段は大嫌いな整理と、大好きだけどやりにくい調理をしてみる。役立ったかかなり不明。
かつ、弟と同じ年齢の子がいると意識するだけで、いきなりおねーちゃんぶる癖がある。「なんなんしてあげる」とかいう口調とか、マジはるかははるかに嫌悪感満点。

一方、周回ごとにベースに戻ってくる選手を見るのは、ものすごいよかった。本当はボーっとじーっとみたいくらいだった。大抵は、何か飲み物や食べ物を補給して行くし、あるいはそのまま勢いに乗って素通りしていく選手もいるんだけど、たまに休憩して立ち止まる選手もいる。みんな毎回様子が違うし、それぞれの反応も違う。この過酷な状況でかつ接するのが一瞬なので、それぞれの個性のエッセンスや、ストラテジーの色が際立つ。おもしろい。みんな違ってみんないいってこれのこと。
だから眠くなかったし、眠くなっても寝たくなかった。寝たらもったいなくって

フラフラで意識が朦朧としているのに、丁寧な対応をする人とか、もう動けなくなった身体と悔しさで闘っている人とか、しゃべる余裕もないだろうに、スタッフに冗談を言う精神的余裕のある人とか、こちらが励まされるほど、元気な声をかけてくれる人とか、女の子の選手は、回ってくる度、はるかは涙。
あーもう、普段の私では決してできない経験をしました。
みんなのことが大好きになって、ぎゅぅっとハグしたいキモチでいっぱいだった。
休憩していく選手の背中に手を当てたり、冷たくなった手に触れたい衝動はときどき抑えられなかった。それがかなわぬときは、意念を置いた。意念を置くってこういうことだ、たぶん。