たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

24時間耐久フラット初日

この土日は某サイクリング部恒例の、24時間チャリをこぎ続け、何キロこげたかを記録する、人間としてありえない企画にお邪魔した。
私は、ホントの意味での部外者。
途中、カフェの予定があったので抜けましたが。

まずは土曜の日記。
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離れているのに
キモチが確かにそこにあった。
まっ赤な大きな夕陽を見たとき、選手もこれを見てるだろうと思った。
思えば、例えば彼が耐久アップで死ぬ思いをしていた日も、私はどっかで何かをしていた。
懸命に作っていたかもしれないし、懸命にオシャレしていたかもしれないし、なんだこんな日!と思ったかもしれないし、大泣きしていたかもしれない。
何しろ生きていたんだなー。
本人が自覚を持って生きていたかはわからないけれど、私の身体はいつだって本気モードで生きているんだ。

24時間チャリをこぎ続ける人たちを
心底バカだよと思いながら
どうしようもなく感動している。



今日のオープンマイクで
野宿者の人が詩を詠んだ。

戦前京都に居た朝鮮の学生が、治安維持法によって、
ハングルで詩を書いたという、ただそれだけで
投獄され、毎日わけのわからぬ注射を打たれ続けて獄死したという。
最期の言葉はコリア語で、監視員は「意味不明なことを叫んだ」と報告したという。
彼は下賀茂警察署でつかまり、当時田中高原町に住んでいたという。私は今下鴨に住んでいて、京都に来た4年前は田中樋ノ口町に住んだ。
最寄の銭湯は田中高原町にあった。
彼について、何人もの女性が詩を書いている。
大阪から今日きた野宿者は
彼女たちの詩を朗読し、
彼も彼自身の「彼」についての詩を詠んだ。

若い留学生が、家族や恋人を思って書いた詩を
よみたいと思う。
獄中で日本に対する怒りを置いて、愛する人のために書いた
愛だけの詩があるのなら、私はそれをよみたいと思う。


24時間耐久レースの部外者スタッフは、全く頼りないなりにも、キモチは高揚し、24時間ずっとここにおって彼らと空気を共有したいと思った。
だけど、自分の役割を思い出しカフェに帰ってよかったと思う。
私は今日、自転車をこぎ続ける人たち、支える人たちと何かを共有しながら、獄中で死んだ朝鮮人の若い詩人とも何かを共有していた。