たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

中国から無事戻りました

ほとんどの人に内緒で行ってきました中国。

だって、この前中央アジアに1ヶ月近くも行って、それでまた行くか!?
と、私だったら、完全にバカ扱いします。
バカです。

会社の方もあきれ果ててたと思います。仕事の関係者の方もだまって出かけたけど、きっと電話に出ないし、バレてるし、迷惑かけたと思います。おもいっきりごめんなさい。


今回は、気功の先生の先生らを訪ねる旅だったので、私が今後どんだけ希望しても、お金を積んだとしても、時間がとれたとしても会えない人たちに会う旅だったんだから、こっちとしちゃ~中央アジアと一緒にできない。同じ「旅」としてくくれないわけよ。

いろんな意味でたいそうな旅だった。
まずもって、西安での移動はすべてパトカーつきだった。
いつも旅中は、警察に対しては、どちらかと言うと怯える気持ちの方が強かったのに。
ホテルは4ツ星以上。
ごはんは3食ごちそう。(←人生で一番長く贅沢した記録)
私は、めちゃくちゃ偉い人たちに引っ付いて行ってしまったことになる。

それから、いろんな病院の気功科のどえらい先生らを訪問したり、武術館やらでは、じきじきに教えていただいたり、と、身振るいする経験をたくさんしました。


さらに、かなり理想の共同体も訪問した。北京近郊の【韓村河】という村は、昔、貧困地区だったところが、中国文化大革命の後、下放の人が、その村を【共同発展、共同裕福】を目指して作り始めた。

24平方キロ。917戸、581棟、2170人。30億元の収入。中国政府への税金は日本円にして2億円。
洋風館や、中華風、米式、いろんな建物の家を選んで住める。

環境にそこまでの配慮はないけれど、農村地帯では、すべて無農薬栽培、特に目立って水耕栽培ミニトマトの木は、2年持って、1トン採れるらしい)。
工業地区では、都市部での建築に必要なものをガンガン作っていた。
なにしろ、会社がもちろんグループになってるわけだから、こん中(村)だけのビジネスではない。

貧困地区への寄付や、SARSが流行った時は、それに関わる医者に寄付したり、と、国も業績を認めている。

こんないい加減な書き方では誤解だらけだろうから、
つづく