たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

おばさんの中退

私は昨年自分がおばさんになった出来事がありました。
大事な友達にベイビーがやってきて、
会ったこともないくせに、かわいくて仕方ないという実感を得ました。

自分よりちょっと年上の人のところにやってきたベイビーに、
私はおねぇさんでありました。
おばちゃんとは呼ばれたくない、おねぇちゃんがいい。
かわいさは同じだけれど、関係が違うのだ。

すでに子どもがいる大事な友達は、
その友達も、子どもも、どっちも私の友達なわけで、
だからママも娘もはるかをはるかと呼ぶ。
それぞれと対等な関係を私はとる。

でも、兄弟みたいな親友に赤ちゃんができると、
おぉ!おばちゃんになった気分だ。
自分に子どもができたとき、おかーさんになるのとほぼ同時におばちゃんになるのかと思っていたが、そうでなかった。

だけども、この赤ちゃんが最近再び天使となりました。
1歳の誕生日を迎えられず、私は余儀なくおばちゃん引退です。

この先世界はどうなるのだろうという不安の中で
まっことありがたい希望の塊として舞い降りた天使が
再び羽を手に入れるということは、
やっぱりこの世界は居心地悪いのかしらと
不安になります。
あるいは、その命をもって伝えてくれたことの数々を
希望として受け止めなさいということかしら。

だけどもどうしたって、
ホンマに悲しくて悲しくてたまりません。
大好きなその友達のすぐそばに居られないこともやるせない。


最期まで私たちの贈った手回しオルゴールの音色を聴いていたそう。
それを聴くといつも落ち着くからって。
あんまりにも落ち着きの無い私に、わたしはあれと同じオルゴールを贈ったほうがいいかもしれない。うん、そうしよう。

人は、死んでから15分位は耳が聴こえているというのを聞いたことがあります。
最期まで残る感覚が聴覚だって。
だから、死んだ途端に、ほな葬儀は!とか、ほな相続は!とか、そんな話をするのでなくて、死んだように見えても、お話を続けて、感謝を表しなさい。と聞きました。
死んだ人から聞いたわけじゃないけど、私はこれを信じてる。


次に私をおばさんにしてくれる天使は今どこで何を見ているだろう。