たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

ねじゅ と いのち

彼がチベットより帰ってきました。
一週間も早く帰ってきたもんだから、えらく予定がくるって、しどろもどろですわ。ケンカにもなるし。

彼が留守の間、うちに出るチュゥたちと私は叫びながらも共存しましたが、遂にごきぶりホイホイの大きいヤツで、2匹のねずさんたちが捕獲されました。

捕獲じゃなくて、生きては引き返せない状態になりました。

ねずさんたち種に対しては、私は嫌気がさしていて、こんにゃろーとか思っていたけれど、いざ個体としてあがく彼らに出会ったとき、結構苦しかったわ。だって、ホンモノもかわいい。しっかり見ておきなさいと、指導がありました。

種と個体とで、こんなに自分の感情が変わるものかと驚いた。

サイズの問題なのか。蚊ならよくて、ゴキブリでもよくて、でも、ねずさんだったら、涙の流れているつぶらなひとみを見て、胸がざわめく。

「おもしろいほどとれる」っていうタイトルに、吐き気がした。



人体の不思議展」って、行ったことないんだけど、その人体がホンモノで、しかもそれが中国人のものだということで、疑問派の意見が大きくなってきていることを最近知りました。

ある看護学校の校長先生は、これまで生徒たちにすすめてきたけれど、推薦を撤回し、これまでの生徒にお詫びする。旨の文章を出されたと読んだ。

なんで自分自身も違和感を感じるのか、ちゃんと捕まえて言葉にすることがまだできないけれど、もう少し調べないといかん。




胎児をカメラでかなり鮮明に写すことができる時代にいて、成長ごとに胎児を展示することがどれほど有効なんだろう。
献体の意志もないからいいのか。


私がひっかかるのは、商業ベースであることかしら。

私の祖母は二言目には、「私の全てのパーツを献体する!」と豪語している。おばぁちゃんがいずれ、お星さまになったとき、その肉体を提供されても、私はあれだけ聞かされてるから、よかったと思うだろうか。その使われ方がこんな形であっても?


人体の遺体そのものに対する倫理観で確固としたものが私にはない。はるか彼がチベットでもう何年も前に、特別に見せてもらったのは、鳥葬で、遺体をそれこそ斧とかで、ざっくざくのばっきばきにして、そして、鳥たちに処理してもらうらしい。

この話は聞けてよかった。たぶん私に新しい要素が垂らされた。

あっ、ティベットの報告会を求む声が多いので、またやーろーっと!