たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

夢の知らせ

正月休み明けに、仕事をフルにはできないので、
成人式で3連休にしてくれた人には、ホントさんきゅと思っていたはずなのに、
いつの間にやら仕事人間になったんだわ。
5日ある平日が4日になっちゃうと、えらい大変なことだ。と思うだなんて!

オンオフが完全にできるのが、自分の素晴らしい長所だと思っていたのに、
つまりそれは、仕事場を一歩離れると、仕事のことはもう思い出せないようになっていて、朝職場に着いてから、私はここで一体何をしていたのかというと・・・あっそうそう。
と、こうやる自分は、仕事のストレスが皆無に近く、それは健康状態として、とってもすばらしいことだと思ってきた。

ところが、朝起きるなり、えっと、えっと、あの問題どうしよう。あの人にどうやって話そう。とかやっていて、寝る前も考えすぎて眠れないことがある。起きて日常が始まると、たいしたことにならないのが常なんだけど。

そういうわけで、クマも冬眠するこの季節、なるべく睡眠時間の確保に気を使ってる。

と言っても、昨晩のお客さんが帰ったのは、朝方4時半だから、気はつかってても、実際はそうに非ず。やね。

だけども、浅い眠りの間は、よく夢をみる。

私は、はっきりした夢をみたとき、遠くの友達(ちょっとご無沙汰の友達)の夢をみたとき、連絡する習慣がある。

この前、おさななじみの夢をみた。彼女がフラレたのか、フッたのか、いずれにしても悲しくて彼を前にぎゃーぎゃー泣いている夢をみたとき、
連絡したら、ちょうど1年前にわーわー泣いてフラレた彼から着信があった翌朝だった。

誰に対してもこんなことが起きるわけじゃないけれど、
おさななじみの夢は、他の何人かでもそれがある。
そのたびに日記につけているが、毎回、やっぱりこの子たちとは、深いところで繋がってるんだわ~と思ってしまう。年に一度も会わないのにね。
小さい頃、よく一緒にお風呂に入ったり、お布団に入ったりしたからかな?

今の彼とも、喧嘩をした翌朝、同じ人の夢をみて、なんとなく喧嘩が終息に向かったこともあった。

前に、アボリジニの人たちのパフォーマンスを企画したとき、彼らが説明してくれたことのなかに、「ディジュリドゥ(イダキ)の演奏者は、彼の夢からのメッセージを表現しているんだ」というのがあった。
夢の位置が重要な文化の人たちだな。と思った。


今頃、彼は後輩たちと、東北か北陸かどっか雪のあるところの山でチャリを担いでるころだけど、この集合場所に予定時刻に、ある後輩が現れなかったとき、下界にいた私は連絡係をした。
翌朝の始発列車で到着したらしいんだけど、その知らせを受けるよりも早く、私は夢で彼の到着を確認していた。
状況はもちろん違うんだけど、彼が後から到着するという場面だった。

アボリジニの人たちみたいに、こんなんが日常茶飯事で起きるなら、ケータイ電話の要らない社会になるんだろーけどね。

あるいは、メールで「つきました~」という知らせを受けるときに、ケータイの受信をはるかの夢がキャッチしたとも考えられるか。
この場合、ケータイ電話が要るということになるのか。

んーーー