たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

こそだ寺子屋コトハハ

無事終了しました。

コがいないのに、世話人をして、幸せでした。
ハハもコもいろいろで、コとハハの間柄もいろいろで、
どれもまたおもしろし。

やっぱり1泊2日のイベントは、参加者の持つ力と場の力が相まって、深みが出てくる。
それが醍醐味なんでしょうな。

自分のコが、いろんな大人の目で見守れている安心感や
他人のうちのコを見守る余裕ができたときのおおらかさや
うちのコは、これでも泣かないほうだったんやとか、
泣き声で自分ちのコが案外わかるもんなんやとか、
人間を比べることは到底できないもんなんやと、あまりにも違うもんなんやと、ストンと音を立てて理解できるとか、
これらは生活を共にする中で(たったそれが1泊3食の共同生活であっても)、得られるものなんだと思う。

ハハの中にある苦しみや余裕のなさやしんどさを、もっともっと出せたらいいのだけど。
深い場を提供するというのには、鍛錬が必要なようです。


というわけで、よそんちのコなので、私は本当におおらかに、好きなだけ一つのことをすることに付き合ったり、ハハに内緒で特別なことをしたり、と、またもジジババを経験したような感じでした。

8つ下に弟がいることは、子育ての実験台になり、かなり楽しんだわけなんだけど、それはどれもやはりハハとしてのママゴトではなく、寝ずの看病も、ワンワン泣くときに辛抱強く対することも、大怪我をして目をふさぎたいときに乗り越えることも、まるでタッチせずに、かわいがるだけかわいがって、おむつを替えたり、添い寝をしたり、お話を読んであげたり、ぶっちゅをしたりと、とても楽な部分での実験台でしかなく、これはまさに孫をただかわいがる祖父母のような。。。そうかあれは、孫ラブなおばあちゃんとしてのママゴトだったのか。と、最近気付きました。


和尚のお話はやはり興味深く、また、どうも夜中のセッション?夫婦について。もまた、興味深かったらしく、粘土のワークもまたおもしろかった。

はるは体調がいまいちだったので、年のそう変わらないハハたちチチたちよりも先に寝た。
こどもたちがたくさん寝ている部屋で、誰かが夜泣きする度、チチハハの集う部屋へ「誰ちゃんが泣いてマース!」と、言いに言っていたんだが、それを数回やったところで、熟睡したらしく、次の浅い眠りのときに泣いた子で、ガバッと起きて、誰が泣いているか確かめに行き、「誰くんが泣いてマース!」と、言いに言ったらもう誰もいなかった。もうみんな同じ部屋で寝静まった3時半だった。よく見たら、お母さんがちゃんと横に居てあやしていた。
完全に寝ぼけた状態で、反射的に広い部屋を走っていた自分に笑けた。


コトハハの振り返りミーティングの前に、10日のうちに2コもワークショップを入れている。
本当に、ワークショップ三昧で、馬鹿の見本になったようだけど、それぞれでしっかり得るものを捕まえられれば。
がっつり得られなくても、もう仕方ない。

それよりも、それを日常でどう活かすかが最大のポイントなので。
私の課題はむしろそちら。

自分の足りない部分を自覚していながら、なぜ日々やらない?
おろかものよ。

そうそう。トイレの日めくりカレンダーを作ろうかと。
まわりの人からのありがたいお言葉を語録にして、毎日目につくところへ招待するべきでないか。とそう思うわけ。