たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

宇都宮というアイデンティティ

日々、書き留めておくべきことは多いのですが、

あっ砂漠からは帰って来てます。
別居は無事始まりました。
春になりましたね。

宇都宮で買った本で、
五十嵐幸子2009『秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし』(小学館101新書 19)
があります。

これ読んで、なんか、私のアイデンティティにおける宇都宮というファクターについて、考えさせられました。

なんちゅぅか、本に書いてあるとおり、典型的な感じなんです。

家で手作りの餃子をすごく食べる。
餃子を外食する場合、家族4人でごはん1膳位しか注文しない。
女子高生のとき、友達とランチに餃子屋によく行った。
注文するときは、やきダブルすい1 とかの省略バージョンでオーダーする。
しょうゆと酢とラー油の割合について、やたらこだわりを見せ合う。
塾の休憩時間に中学時代の友達たちとニケツで餃子を食いに出かける=スナック感覚
誰かに店の場所を聞かれると、ついでにあそこもおいしいですよ。とか、あそこはこういう餃子で、こっちはこうですよ。と、追加情報を与える。
宇都宮は餃子の町とか言われるまでは、どこか恥ずかしさがあり、そうでなくても宇都宮出身と言うのにためらいというか、後ろめたさがあった。


高校のクラス替えの前は、45人の女子+担任+副担で、餃子屋のホールを借りて、餃子のコースでお別れ会をした。とか、

宇都宮餃子がメディアに出るようになったばかりの頃、水戸から来た人が、持ち帰りたいと言ったとき、「どこから来たんだ?こんな湿度のたけぇ日は無理だべ。」と断ってたな。とか、

女子高生として、一緒に行った人と全員で近くの席に座れることはないと心得ていた私らは、2グループに分かれて座った。
一方、飲みに来ていたおっちゃんらは、ビールを飲み交わしたいのに、2グループに分けられてイヤだった。
そこで、私らに交渉してきた。
入れ替わろう!と。
そうすると、お互いのグループがそれぞれ離れ離れにならなかったのだ。
でも、私らは、そんなことをしたら、店員さんは、私らの席番号で注文を覚えているので、混乱させてしまうだろうと知っていた。
だけど、押されてそれに従った。
そうしたら、店の主人は怒った。
「おきゃくさまは、神様だけど、それじゃ困る。」と。
それで追い出した。
それから、私らに「嫌な気分にさせてすまなかった。でも、私もお客様のわがままを受け入れていては、ミスも出てくる。」と説明した。とか・・・

・・・走馬灯のように、いろいろな餃子な思い出が浮かぶ。
そして、あそこの主人は、宇都宮餃子のために、そこまでがんばっていたのか。。。
などと、変に旧友を懐かしむかのように、思い出しては、涙して読んだ。

宇都宮を出てから、11年。
初めて、宇都宮もいいもんだべ。と感じた春でした。