たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

はるか株が急上昇した日 つづき



そう。最もはるかの株が上昇した日は、
京都からのお土産を渡した日だった。
京都市からのお土産で、30個の風呂敷があった。
私は、前に立って、「私たちは今、過去からも学んでいます。風呂敷は最近流行っていて、もちろん身につけることもできるけど、包んだり、マイバッグ代わりにしたりもできます。
私は、飛行機の中で、使い捨てのコップを使うのが嫌なので、自分のコップにドリンクを入れてもらうよ。そういう風に、使い捨てのものを見直すときに、風呂敷は役立ちます。」
と、広げて見せたりした。
私は、30個しかないこれを、どうやって80人で分けたらいいのか、まだ分からない。と言った。
みんなそれぞれの国で、それぞれの立場で活動をしているわけだから、なるべくたくさんの国に行きわたればいいな。と思った。
結局、アフリカ出身の先生がこういうときは、と言って、節分祭だか、棟上げ式だかのときのように、後ろ向きで投げ始めた。
はるかもそうしたんだけど。
着席して、1分もたたないうちに、気分が悪くなった。

もうこれ以上アナウンスメントはないですか?と、言われたとき、
「あっあります。」と言って前に出た。
「さっき、贈り物を投げたりしたこと、ごめんなさい。日本では、通常手から手へのやりとりをします。なので、あのやり方は、とても気分が悪かった。みんなに対しても、ものに対してもリスペクトが欠けていたと思う。だから謝りたかった。」
と言った。
戦後を生きた方から、「戦後すぐ米軍が、子どもたちにチョコレートを投げてばらまいた。
自分たちは、犬みたいに、競って拾ったけど、このやり方は、いいやり方じゃないなぁ。と子どもながらに思ったよ。人間同士の関係なら、手から手に。きっと犬同然に思われていたのかもしれないね。」と、聞いたことがあって、そのことがすごくひっかかった。
80人のうち、1人が30の資源を持っていて、分け方もわからず、そぅれ!と放り投げているようで、
今の世界と一緒じゃないか。と思った。
すると、アフリカ人の先生は「おー。はるかーごめんよー。つい先日、日本を訪れて、はるかたちのやり方をたくさん学んだところだったのに・・・」と、抱きしめてくれた。
それから、ヨルダン人の友達は、前に出てきて「はるか、気にしないで、ほら、今、はるかの手から僕の手に」と、風呂敷を一度突き返し、また受け取って、満足していた。

たぶん、このやりとりがあった直後から、私の株は急上昇した。
自分の名前をあちこちで呼ばれ、大好きだよ。って言われるのは、本当に力になると思う。

自分の殻から出て、自分の意見を表現したときほど、回りが変化したことはなかった。
自分の考えを表現することに挑戦し続けられそうだったころ、もう帰国だった。残念。

風呂敷は、結局、「彼女へのお土産にするよ。」とか、あまり私の望まない使われ方もあったけど、
アヤが頭に巻いたとき、めちゃかっこよくて、それでチャラになった気がした。
彼女は最後までずっとおしゃれに、いろんな巻き型で巻いていた。
日本の風呂敷も、パレスチナ人の手に渡れば、なんかアラビックやな。と思った。