たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

君あり、故に我あり つまり

そうそう。
サティシュクマールの講演で、

彼は、私からすると、ほど遠い人だけど、
それでも、なんとか私に響いてくるんだから、
響くものを頼りに行くしかないよなと思う。

無限の愛とか、自然から教わるとか、
頭ではわかっているけど、、、とさえ言えない。
頭でもわからないくらいに変な方向に進んじゃってるのかしら。
私の人生。

それでも、彼の透き通った瞳や、強いメッセージに、心が震えているのを感じているんだから、そっちを育てていかないとだよな。

そうそう。
自然とのつながりを取り戻し、人とのコミュニケーションをもう少し丁寧にしていきたいもんだ。と思うわけ。

もう少し、上から目線な自分を謙虚に捉えたいです。

私の彼は、講演が終わって、私がサインをもらいに行ったときに、
サティシュに直接、質問をした。

Ecology と Environment の違いはなんですか?
彼は、日頃からこのふたつを日本語では混同している。と考えている。

サティシュはこう答えた。
Environmentは、とりまくものです。
たとえば、Envelope封筒 という単語がありますが、
あれは、封筒をさしているのであって、中に入っているものはさしていない。
中に何かを入れるためのものです。
それと同じで、Environmentには、あなた自身が入っていない。
あなたを取り巻くものをさしているから。

それに対して、Ecologyは、あなた自身をも含む存在です。
だから、Ecologyの方がいいね。


私の彼は、日頃から、自然という単語や環境という単語に、
やたらとこだわる。
人間が自然の一部であるのに、人間対自然 のような表現が多いからだと思う。

その点、私も 自分が自然の一部でしかない。と、そのように考えてみたいのに、実態としては、そうでないもんだから、
彼の言うことに納得しながらも、大きくずれている部分がある。

サティシュの話を通して、少々謙虚になれただろうか。


自分がお高く留まっているもんだから、他者がお高く留まっていることに、敏感に反応するんだろうね。

大鏡のように、見るんだろうね。
自分の中にある、気に入らないものが 他者の中にあるときには。


そして、自分に足りないものが、だんだん見えてくるもんだね。
年をとるというのは、そういうことかね。
今さら、頭のいいあたま がほしくなるんだから。
中高大って、ろくすっぽ勉強しなかった自分が悪いんだけど。
勉強したと思っている時間は、仕方が悪かったんだろうね。
その部分については、何も残ってない。

三十路を迎えるまでは、きっと、自分の中の輝くものにばかり焦点を当てて、それがまばゆくて、それ以外のほとんどの部分が見えなかったけど、まぶしいものを手のひらでさえぎれば、あぁ足りないものだらけ。
他者に補ってもらうこともできるけど、ひとまず貪欲に自ら手に入れることに挑戦する時期に変えてもいいでしょう?

勉強をしないといけないよ。
それから
外に出ないといけない。外国って意味でこれまで使ってたけど。
外というのは、これからは、おもてのことです。
わずらわしいと思っていた屋外に、自ら出ないといけない。
他者に出かけてもらって、体験してもらうのではいけない。
自分が外に出ないと、つながれないし、感じられない貴重なものだから。
頭に詰めるのも、他者に頼る前に、すきまだけのスペースに、もう少し詰めないといけない。
そうでないと、つなげることができないから。

君あり、故に我あり
の意味が理解できるために
私の場合
まずは、
知識をもう少し詰めることと 外に出ること

なにしろ、経験と知識は両輪のような存在だと言ってたからね。

経験は、年の割にはいろいろしてきた。
が、年の割には、頭が悪すぎる。
このアンバランスさが、バランスを取ろうとしてくれたらいいんだけど。。。