たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

『君あり、故に我あり』

サティシュクマールが来日しているので、講演を聴きに行った。

夏から楽しみにしていたので、うれしかった。

サティシュ・クマール
 インド生まれ、9歳でジャイナ教の修行僧となる。
 後に仏教とヒンズー哲学を研究する。
 雑誌「リサージェンス」の編集長を務める傍ら、シューマッハー・カレッジを創立する。

今年の春に『君あり、故に我あり--依存の宣言』を読んで、
いつかシューマッハー・カレッジに行きたいと、英語もなんとか続けている。

関心のある分野についてさえも、いかに本を読んでいない人間かがバレバレだけど、最近読みました。

今回、彼の話は、
コミュニケーションの大切さを説いていた。

リーダーが現れるのを待っていては、ダメで、自分の意識を変革し、自らが行動しなくてはいけないよ。

コミュニケーションは、人と人の間もだけど、木々や川やミツバチや蝶とのコミュニケーションも大切です。
でも、現代の私たちは、これについて教わってきていないから、どうしても自然と切り離した考えをしてしまう。
私たちは、natureのオーナーでないし、そもそもnatureの外にいるんじゃない。

つながりを取り戻すには、木々の間を、川のほとりを歩くしかない。

と言っていた。

現代の教育は、個人の成功 をベースに置いている。
これでは、私だけで立っていると 条件づけられてしまう。我思うゆえに我あり ってことに。

子どもたちは、自然の中に出しさえすれば、すぐにつながれる。
私たちも出ないといけない。頭でわかっているだけではつながれない。

平和への道はない。平和こそが唯一の道である。と、ガンジーが言ったように、
環境問題なんかについては、自然とまたつながりなおすことが、唯一の道である。

って言ってた。

私は、ちょっと前まで、散歩が好きでなかったし、山登りも好きでなかった。
電話している間には、爪でも切りたい。という私は、同時に二つくらいのことはやらないと、時間の無駄だと思っていた。
増してや、散歩なんて、なんのために歩くのか。誰のために歩くのか。
目的地は何なのか。と、考えていた。

サティシュのメッセージは、あたたかく力強かった。

最近、朝の散歩や週末に森に行くことを楽しめるようになってきたことの背中をまた押してくれることでしょう。


私の価値観や関心事として、面白かったのは、

Ecology と Economy の語源について。
ギリシャ語で Ecoとはオイコス HOME のことらしい。
HOME とは、the place for relationship だと彼は言った。
logyとはロゴス logic, knowledge

だから、Ecologyというのは、knowledge of Home
家(地球)を知るということ

一方Economyは
ギリシャ語で、Ecoは同じくオイコス HOME
nomyはノモス management 管理すること

家を管理することは、家を知ることなしにはできないでしょ。

だから、経済学を学ぶ人は、同時にEcologyについても学ばないといけないって言ってた。
コインの両面のように、双方必要な存在なんだって。


自然は、私たちのNEEDSに応えるだけのものを持っている。
化石燃料一辺倒だった私たちは、太陽や水や風の力を信じる必要がある。
だのに、例えば温暖化問題を問題とするから、化石燃料から原発に切り替えようだなんて発想になるんだ。

英語で、falling fire from frying pan.
ってことばがあって、
それは、フライパンの上で熱い熱いと思って飛び降りたらそれは火の上だった。ってことらしい。

温暖化問題を避けることしか考えないと、原発という選択肢があり得るのかもしれないけれど、私たちのsustainableな社会を考えたら、それは選択できないでしょう?
と。

これは著書にも出てくる話だけど、りんごの種の話をしてくれた。

彼が幼い頃、お母さんから「りんごの種の中になにが見えるかな。」
と言われたサティシュは、
種を小さく小さく刻んだけれど、何にも無かった。
「何にもないよ?」ってお母さんに言ったら、
「えっ?りんごの木が一本見えないの?」と言ったという話。

りんごの種からりんごの木が、りんごの木は50年間何千ものりんごをもたらしてくれる。

それも、金持ちにも貧乏人にも りんごの木はりんごを与えてくれる。
人間にも動物にも蜂にも りんごの木はりんごを与えてくれる。
無限の愛を学ぶには、りんごの木を見たらいいよ。


私たちは、恐れを植え付けられているから、意識の改革をする必要がある。
意識の改革は、後退でも前進でもなく(これらはある方向に進ませてしまうものだけど)DANCEだ。DANCEとは自分自身を楽しむこと。

彼は最後に、踊りましょう。と言った。

生きる意味とは、
Dance and give pleasure, Dance and have pleasure と。