たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

アブラムシ と バス事情

これは栃木弁なのかどうかわかりませんが、
子どもの遊びの中で、「アブラムシ」という「立場」があります。

用法:「じゃ、だれちゃんとだれちゃんはアブラムシね」
   「そうだね。まだ小ちゃいからアブラムシね」    

場面:かくれんぼや鬼ごっこで鬼を決めるじゃんけんのシーン「じゃんけんぽい」
   アブラムシが後出ししても、アブラムシが負けても それはないことになっている。
   
   「待て~!!」とアブラムシを追いかけるが、つかまえられそうなところで、なぜか他の人を追いかけ始める。
   アブラムシは、いつまでも鬼にならない。でも、かなり捕まえられそうでキャッキャッ言って逃げる。


これは、今思うとよくできてるもんだな。と思います。
異年齢の子たちが集って、遊ぶ。
弟や妹がひっついてくるのを、振り払わずに一緒に遊ぶ。
無視はせずに、仲間には入れる。でも、自分たちの遊びの質を落とさない。

なかなかよい環境で子ども時代を遊んだんカナ。と思えてきます。


一方で、友達が「里帰りする」という言葉を使うのに対し、
違和感を持って、しばし考えていました。

「実家に帰る」は使うけど、「里帰り」は使ったことがない。
使わない。周りの人も使わない。
(小学生のころ、みんなよく、おばあちゃんちに行く。を 実家に帰る。と言っていた。
実家に帰るのは、親が、であって、アンタじゃない。)

結局、私にとって、実家には帰っても、里として認識してないんだな。
周りの人にとってもそうなんかな。と・・・。
ニュータウンだしかな? と、さまざまに考えてみた。

同僚に話したら、ウィキで調べてくれた。
里帰りは、「妻が結婚後 初めて実家に帰ることである」とあった。
友人の言葉は、単に実家に帰る。ことっぽいな。その地方の言葉なのかもしれん。
あるいは、やはり里全体に帰っている感じなのかもしれん。

なんだか学生位まではあまりはっきりしていなかった違いのようなものが、
30位になると、育った家の文化や地域の文化が割と人間形成に影響してくる気がする。



今読んでいる本はおもしろい。
もんでん奈津代さんの『子連れ南の島暮らし』
友人知人の知り合いってことで、方々でつながる。

以前、ツバルの報告か何かに参加したときにお目にかかった娘さんのゆめさんは、
なんだか特別にきらきらしていて、忘れられない。
これが、書店に並んでいたので、手にとった。
6歳くらいの女の子が、南の島に育つ木の皮でつくられたスカートのようなものをまとい、
ケラケラと笑う笑顔が最高に輝いていた姿が思い出される。

昼間ひとりで子育てをしている友達たちにおくりたい。
おくったところで、解決にはならんだろうから、
南の島の人たちみたいに、子どもたちをみんなで育てる雰囲気を作りたい。
シングルマザーも、だんながいても、みんな息苦しくなることがある。南の島の人は、子育ては簡単だ。と言いきっている。


島のバスはぎゅぅぎゅぅ詰めで、席に座っている人は、
よその子でもなんでも関係なく膝に乗せて抱っこしてやる。と、あった。

これと同じを中央アジアでも経験したな。と思いだした。
さすがに、大人を乗せることはなかったけれど。

乗り合いバス(小型)では、後ろの人から運賃が前に送られてくる。
回ってきたものは運転手まで伝達され、お釣りはまた本人まで送られる。
これも同じだ。

私が生まれたリビアでは、他人の子どもへの接し方はどんなだったんだろう?と気になる。

いよいよ足が痒くなってきた。I have itchy feet = 旅行に出たい!