たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

対話によるドライブ


デンマークからインダストリアルデザイナーの福田成美さんと
建築家のフーバートさんがやってきた。
なので、デンマーク式のお話会をしたいと計画した。

レクチャー形式でやれば、効率よく情報が提供され、
加えて聴衆としては楽チンなのだけど、
そして、それに私たちは慣れているのだけど、
どうせならと、対話形式で話が進む、
みんなでドライブする感じの、ワークショップ形式のもの、
逆の言い方をすれば、私たちには居心地が悪いくらい、
まとまりのようなものがないスタイルで進めることにした。

だけど、まぁ、簡単じゃないよな。
質疑応答形式ではなく、対話形式だと強調したらよかったのかもしれないけれど、
なんか質疑応答っぽくなっちゃう。
たとえば、よくある質疑応答のときに見る光景のように、「3点あるんですけど」とか。
対話なら、ひとつひとつやりとりが進んでいくところだけど、ついね。
自分の心で一番聞きたいことを口にしたらいいんだろうけど、
なにかこう、周りの人のことを意識して、ちょっと遠慮した聞き方になっちゃう。
たとえば、時間がもう残り少なくなってから、やっと本音を聞く。とか。
質疑応答のイメージだと、自分だけがいくつも質問をしていても、
講師と自分だけの関係だから平気になっちゃう。
そこにいるみんなで場を作っているんだ。って意識を意図を私は作れなかった。

1日目にうちでやったときは、おかーさんたちが多くて、
はるかはむしろ子守みたいな感じで、
物理的に輪の外に居たのもあって、実質、進行役はいなかった。
進行役はこのスタイルにおいて、いなくてもいいと思うけれど、
参加者が、進行役がいなくてもあぁいう場になるんだぁ。と喜んでくれていたのは、ありがたい反応。

2回目に外でやったときは、なーんか自分が出しゃばって、
よくなかった気がする。
誰からもフィードバックをもらったわけじゃないけど。
特にみんなが心地よかったかどうかで言うと、かなりあやしい。

ところで、講義形式に慣れた日本の学校教育、ひいては一般の市民向けの学びの場において、
対話形式の講義は難しいのか。と思ったけれど、
仏教の説法というのは、まさに対話形式らしく、
つまり、質問する人がいなければ、話さない。
問うたら答えてくれる。
いや、問い返される場合も往々にしてあろうが。
「あの坊さんは何も説いてくれん。」と思う場合、
「それは貴方が問うてないからだ。」と、そういうことらしい。
であるならば、そういう場を求めていってもいいのかもしれない。
少し工夫とフィードバックと経験が必要だわ。