たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

お盆を置くことを恐れないこと

デンマークからヨオンとさだこさんが来た。

参加者の関心も高く、良い会だったかと思う。
時間に追われるのは、通訳が入るときは、いつも起きる問題で、
私は一人、時間のプレッシャーを感じてるんだろうね。
あまり内容が耳に入らない。

なんつーか、せっかくのデンマークの学校の先生なんだから、
ホイスコーレスタイルをとりたいのだけど、
聴衆が日本のスタイルなんだから、ちょっとそれは、無理があるのかもね。
はるかの理想追求のエゴだったわ。

ともあれ、みんなかなり限られた時間の中で、
可能な限りを提供し、受け取り、割と満足して帰ってくれたようで
よかった。
主催をする。というのは、毎度わかっていることだけど、
お客さんの様にはその場を楽しめないもんだよ。

ここのところ、参加費を、余裕の少しある人と余裕のあまりない人(自己申告制)で2パターンにしているんだけど、
(欧州で参加したギャザリングで、出身国別に参加費が違ったのが、10年前の経験で印象に残ってる。それぞれの国で、牛乳が1パックいくらか、カフェの珈琲が一杯いくらか、コンドームがひとついくらか・・・と50個くらいの項目を各国調査して、それを一覧にしていた。そのレートに基づいて支払っていた。)
これが、本当に、全くと言っていいほど、誰がどっちの金額を払ったかって、こちらは執着しないもんだな。と気付きがあった。
もっと、あの人は、こっちで払ったわ。とか、記憶に残るものなのかと、やる前は思ってたんだけど、これが、驚くほど、どうでもいいもんなんだな。と。
まさに、お金を出す側の話で、受け取る方は関係ないもんなんだな。

よく聞くところの、喜捨するのは、する人の話で
施しを受ける人の話じゃない。という例のあれと通ずるところがあるかもしれない。

デンマークの話はいまいち頭に入らないものの
連れとごはんを食べて気付かされたことがある。

私がここのところ関心のあるベーシックインカム
北欧の高負担高福祉に共通項があろうかと思っていたが、
全く違う要素であった点。

ベーシックインカムを考えるときに、
最低限必要なお金があれば、名もない俳優も、地図馬鹿も、
みんなそれなりに肩身を気にせず、生きたいように生きて、
その恩恵を私らも受けられるんではないか。と、考えた。

みんな今ほど病気にならなくて済むんじゃないか。と。
みんな人生を今より豊かだと思うんじゃないか。と。

だけど、デンマークの失業保険制度は、それとは違って、
毎月10数万円のお金をもらえるけれど、
決して家で音楽を聞いていられるわけじゃないらしく、
就職活動をしたり、職業訓練校に通ったり、それでも仕事が
ない場合は、市庁舎の壁塗りとか、いろんなやりたくないことも
あてがわれる。

「関わること」を、社会法で決められているらしい。

シングルマザーとか、いわゆる貧困層に対して配慮をする取り組み
という視点でみれば、共通項もあろうが、
なんちゅぅか根本が違ったことに気付かされた。

そのあとで、『エンデの遺言』の読書会に行った。
2か月くらい前から、読書会参加希望者によるメールでのやりとりがある仕掛けだった。
おもしろいやり方だったのに、全然メールの議論に参加できず、後ろめたさいっぱいだったけど、それでもなお参加してよかった。

「人と話すことで、自分が元気になるよね。」って、主催者の想いがあって、それに心から共感するんよね。
私は今日、人の意見を聞いて視野を広げるってほど、集中力があったわけじゃないんだけど、
自分が話したいことは何か、人の話を通じて自分が考えることは何か、で、収穫があった。

今日自分が話したことで、言いながら「そうかもね~」と思ったことがあるから、未来のくじけた時のはるかのために書いておく。

自分の考えを述べるときに、完璧に論を立てておく必要があるか。
反論できるように準備しておくことや、批判するにあたって代替案を用意しておく必要があるか。

私はNOのスタンスでいたい。

直観的に や なんとなくおかしい でもいいから、口にし、
対話を求めれば、何かは返ってくるんだから、その力を借りたいと思う。
一人でやりきる必要はない。

それはたとえてみれば、お盆にせんべいを置くようなもので、
それを見た気のきく誰かは、おせんべいを直に置かなくていいように
皿を置いてくれるかもしれない。
あるいは、お茶を用意してくれるかもしれない。

自分ひとりで、お盆に、お茶もお茶菓子もお花もなんでも完璧に乗せて持っていくのは大変だけど、
とりあえずお盆を用意することが大事なんでしょう。
いつまでも控えていたら、人の目に留まらない。

はるかの場合、乱暴にテーブルから飛び出た格好でお盆を置くのかもね。
すると、まずは、誰かがお盆をもう少しテーブルの内側に入れてくれるのかも。

だから、お盆を置くことからまずは始めてね。恐れなくていいんで。