たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

軸のないアクちビスト


友人のブログで、はるかが紹介されていた。
「止まると、、、、死ぬ人」 って・・・。

かなりそうなんだろうけど、
「止まることもあるよ!」って、ぶーっとつぶやいたら、

隣の人に、「止まってないよ。止まった方がいいよ。はるかのは、停滞しているんであって、停滞中もがちゃがちゃ動いてて、きちんと止まってないじゃん。」
と、言われました。

こうして、的をついたコメントをくれる人間こそ、ありがたい人物として
大事にせねばと思うわけですが、

しかし、動き続けたいと思うわけです。
とどまって、じっくり考える人もいるらしいが、
私は、動き続けて考えたい人間なのかもしれない。

別の友達に最近言われたのは、
「はるかってー、竜巻じゃん。
うわぁ~って来て、うわぁ~っていなくなっちゃう。
それが、はるかじゃん。」

んんん・・・竜巻って、あんま好きなたとえじゃないけどなぁ。
蜂の方がいいかな。蜂みたいにうるさくしてるけど、何かを溜めてるんだよ。おいしいハチミツかは知らないけど。
まー竜巻について、調べてみてから言った方がいいかもね。

ところで、近頃のMYブームは、表層模倣 と お金のこと 

大学生の時は、いろんな環境問題(諫早湾干拓問題やゴミ問題や原発問題など色々)も、動物の問題も、在日についても、戦争についても、とりあえずなんでも動いてた。
しかし、なんちゅぅか、軸のないアクティビストであることに、長い時間かけて気付いていったんだと思う。
京都に来て、最初の頃は、興味があったもん全部行けるだけ行ってた。
京都は長崎に比べて、当たり前だけど 催しの絶対数が多いし、団体の数が多いし、最初は留学先の異文化に驚く青年!だったんだろうね。
しかし、そうすると、スケジュールはえらいことになる。
そんなこと、長くは続かないから、だんだん減っていって、ミュージシャンのマネージャーしたり、楽しいイベントを主催したり。
自分が行くイベントも、かなり多様で、その時に合ったもので、厳選するようになった。人づきあいもある意味で非常に悪くなった。

こうやって振り返ってみると、
最初の?5年くらいは、とにかく動く時
次の5年くらいは、なんか停滞しながら、何がなんだ? 問題の本質はなんだ? 私は何をしたい? どう動けばいい? と、停滞している感じ。
しかし、そろそろ芽ぐらい出ろよ。ボケ。と思う。
軸は結局築けていない感・・・
軸が築けたら、おのずと動くんだろうと思う。

受け売りでも、表層模倣でもいいから、とりあえず自分の中を通してみて、考える。
それでいいと思ってやってるんだけど。
それだけでは、軸は築けないらしい。

学ぶの語源は、まねぶ(まねる)らしいね。
赤ちゃんや小さな子どもは、周りの人間がやっているように、いろんなことを真似して、生きるのに必要な術や知恵をどんどん習得していく。
でも、じきに、学んだことの中から自分の頭でも考えるようになる。
ここがたぶんすごい大事なんだけど、ここをないがしろにしてきてしまったから、いまさら難しいんよ。。。(ってえらい弱気なんだけど)

デンマークの教育について、この前の日曜日に講義をしてもらったときに、なんか違いを感じたのは、
子どもたちが、どんだけ話し合って、どんだけ自分で考えてるか。とか、
親たちが、どんだけ学校の学習内容に対して口出しをして、親同志で交流しているか。とか、
先生たちが、どんだけ子どもたちのために、プログラムを考えて作っているか。毎日が総合学習の時間みたいな。場合によっては悩ましい。場合によってはおもしろすぎる。
一人の子どもにつき、一年ごとに学習プログラムを考えるらしい。日本の先生にそれを任せたら、倒れてしまうような。何しろ、クラスの人数が違うもん。

わけのわからないものを身にまといすぎて、肥大化しすぎて、軸へのアクセスができなくなる前に、
なんとか手を打ちたいともがきつつ、また、もがき方が中途半端でイヤだったり、ホント悩ましいのね、人間って。