たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

ダンスがかりのその後

2010年11月18日の日記にダンスがかりのことを書いた。

9歳の女の子(今は10歳になった)が、
クラスでダンスがかりをやっている。という話。

学期の最初に先生が「何係が必要だと思いますか?」と問うてくれ、
「ダンス係が必要だと思います」と答え、
毎日お昼休みにダンスをするという役割を担う。

係と言えば、duty 義務のようにもとれるが、
エンターテイナーが role 役割として そのクラスに必要だという
考えがすばらしいと思った。

そして、外で他の男子と一緒に遊べない男の子が
音楽係として役割、居場所を持っていることが
またすばらしいと思った。

ダンス係は音楽係を作ったのだから。


ところが、4年生のライフは大変である。

この前ごはんを食べに行ったら
「はるかの4年生の時の話を聞かせてほしい」とせがんでくる。

先生は、「中学生になると本当にいろいろあって大変なので、
4年生くらいのうちから、少しずついろんなことが起きて、
免疫をつけておくことが大切です。」と、保護者に説明していると、彼女の母親の方から聞いた。

本当にそうだな。と思う。
あまり、守り過ぎては今後が大変だ。

それで、4年生の時の、ちょっと仲間はずれにされた時の話をした。
昼休みの心細さや、みんなが去っていくときの目をリアルに思いだして、結構真剣な話になった。
その間、彼女は大きな目を、まだ大きく開いて、ずっとじっと話を聞いてくれた。

それから、悔しくて仲間はずれにした時の話もした。
音楽の時間の最初にいつも発表する時間をくれていた音楽の先生のことも話した。
それで、仲間はずれにした子以外のみんなで その音楽の時間に「となりのトトロ」の合奏などをしたことも話した。
その時の友達の顔も思いだした。

仲間はずれにされた後、仲間はずれにして、その時のその子の顔をみて、少しざまぁみろって気持ちになったことに、「わかるよ。」って言ってもらった。
それから、ちょっと嫌な気分になったことも受け止めてくれた。

そうして、今度は彼女の話になった。

ダンス係としてダンスを続けたいのに、
いろんなことが起きて、今、ダンスができない。
ダンス係の唯一の発表の場であった、毎月のお誕生日会の時間は
つらくてたまらない。

お友達とも仲良くしているけれど、ダンスだけはできない。

葛藤や抑えきれない想いや楽しかった時を取り戻したい願望や
自分の手で何も変えられないもどかしさや・・・
なんやかんやがよく伝わってきて、二人で抱き合って泣いた。

ティッシュを持ってきて(そのうちはトイレットペーパーがティッシュなんだけど)、それで二人でチンチン鼻をかんで泣いた。

わたしはいろんな言葉をかけたいけれど、
どれもウソみたいに響いたので控えた。
それでも彼女は、それらを大事に受け取ってくれた。

私は、よくわからないけれど、彼女の「またダンスをみんなとしたい」という強い想いを持ち続けておくことは、何かにすでにつながっている感じがした。

そのあとで、残りの鍋を食べて(彼女が作ってくれた鶏団子がおいしかった)、

気を取り直して、ホイップクリームを作りにキッチンに立った。

正確には、彼女が氷で冷やしながらホイップクリームを作る横で
私はピアノの椅子に座って、4年生の頃の他の思い出を話し続けたのだけど。

近頃は言い合いになると、少しだけリアルな敗北感を感じることがある。
本気でも負ける時が近い予感。