たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

3月26日の呼びかけメール

以下、西日本在住の友人知人宛のメールの抜粋

震災から2週間が経ちましたが、恐らくみなさんと同じように私も、被災された方・救助にあたっている方のことを常に考えています。

今回の震災では、被害の範囲が大きく、被災地が多様で、加えて原子力発電に対する不安、日々状況が変わり、多量のメディア情報が行き交っています。

みなさんそれぞれの立場、それぞれのやり方で支援をされていると思いますが、支援先がいくつかあってもいいとお考えの方もいらっしゃるかもしれません。

私たちも、いろいろな団体と協力していきながら、主に三陸の集落支援を目的とした活動をしていきます。特に顔のつながりがあるわけではありませんが、私たちの食を支えてもらってきたことは十分なつながりであると考えています。

東日本大震災による被災地(特に小さな集落)への支援ご協力のお願い◆



■経緯
震災後9日目に、呼びかけ人の一人、足立大(私のツレです)が孤立している可能性のある集落を目指して、支援物資のお届けに京都から向かいました。
三陸の波伝谷集落と、中山・馬場集落に、みなさんからお預かりした物資を無事にお届けできたとき、とても喜んでもらえました。
漁村である中山・馬場集落では、彼らの保存食である鮭の塩漬け(※)を手土産にもらいました。何度も丁重にお断りしたけれど、最後は受け取りました。
 
 ※鮭の塩漬け この集落は、アイヌの文化が入っているそうで、鮭とばのようなものでした。(言葉にも、アイヌ語の方言も残っているそうです。)どこのうちも昨年12月に漬けた鮭の塩漬けを保存していました。流された冷蔵庫の中などから、取り出し、物資が届くまでの間、分け合って過ごしたそうです。集落の建物はほとんどが全滅でしたが、4軒だけが残り、潮をかぶったお米を精米して食べてきたそうです。

この鮭の塩漬けの一番おいしい部分(お頭)を5つも受け取り、帰京後3月25日(金)に京都で報告会を行い、話を分かち合い、貴重な鮭の塩漬けはお味噌汁にしていただきました。

私たちは、小さなグループですが、この災害によって漁村などの集落が消滅に追い込まれ、様々な文化環境までもがなくなってしまうことを危惧しています。
コミュニティの絆があることは現地で感じましたので、それをサポート形でできることをしていきたいと考えています。

■活動内容(※以下は現時点での検討内容です。状況によって変更する可能性があります。)
・情報収集…各集落を周り、状況の把握とニーズの聞きとりをします。
・情報共有と発信…役所や他の団体と情報を共有し発信します。
・継続的支援…復興まで長期にわたることが予想されますので状況に応じて支援の形を変えながら継続的に訪問、支援したいと考えています。
・インターネットを利用した支援作り…必要なものを集めるにあたり、全国のみなさんに協力していただけるシステムを作ります。中長期的には、生産物を購入し支えることができるようなシステムも考えていきたいと思います。

■支援内容
1. マンパワー
2. 物資(現地のニーズに応じて厳選した物のみの予定) 
3. 現金 (物資を購入、ボランティア活動費、東北の大学生がボランティア活動に必要な装備等も含む)

※つながりのある東北大学の学生によると、ボランティアに行くのに必要な装備の調達は、被災地周辺では困難な状況にあります。東北の大学は5月20日まで春休みがあるので、バックアップ、協力します。

■今後の予定:第一陣4月2日(土)京都から4人出発 東北大学の学生と合流
       第二陣4月8日(金)京都から出発
       第三陣4月15日ころ 京都から出発
       会計の報告や活動の内容がわかるようなブログの立ち上げ
       報告会やミーティングの開催

■支援のお願い(第1陣出発まで):
・適当な車がありません。軽バンなどを無償または格安で貸してくださる方いませんか。
・前回訪問の集落へ届けるもの…味噌、梅干し、レインウェア、長靴、女性用下着(新品)
・ボランティアに行くのに必要な装備(新品でなくてもよい)…レインウェア、寝袋、キャンピングマット、ヘッドランプ 
・炊き出しのための大きな鍋(石巻市の炊き出し場で必要)
・寄付
※物資は上記の物だけでおねがいします。

■物資届け先:はるかの家
 
以下、連絡先や振込先は略

■チーム名:チームSARU(仮)