たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

team SAKEのはじまり

京都の仲間で支援グループを作って、かれこれ4週間近くが経とうとしています。
毎日、緊急性の高いことに追われているので、丁寧な発信ができておらず、いよいよ書かねば。


私のツレは、一日に平均6時間くらい地図を見ている(地名が頭に入っている)変人で、
また、全国をくまなくチャリで走っていて、
いつもチャリを“担いで”出かけているわけなので、

当然、被災地の地理にも詳しく、お世話になった集落も数知れず、
震災後、べったりテレビとネットに貼りついたまま、
知っている集落についての支援の報道があると、消していく作業をしていました。
つまり、名前が出てこない集落は孤立状態ではないか。という考えで、心配をしていました。

それで、結局、チャリとショイコと物資を積んで、出かけました。

行けるところまで車で行って、そこから先は、チャリと物資を担いで・・・。

それが第1陣。

第1陣が集落のニーズを聞き、それをみなさんからお預かりした寄付金で買ったり、直接お預かりしたりして、
私は、第2陣で送り出してもらいました。

第1陣が訪問した集落では、ツレは若干ヒーローちっくでした。
当時、どれほど喜ばれたのかがわかり、みんなで行動を始めてよかったというのと、いつも地図ばかりを見る病気のツレに対し、辟易している気持ちが、ちょっと振り出しまで戻りました。
一方でもっと早く送り出せばよかったという気持ちになりました。

ツレが到着したのは、9日目でした。
到着の前日に、集落で若い40代の方が亡くなったところもありました。
これは、電話はもちろん、ガソリンがないためでした。

その後、日ごとに状況が変わる末端の小集落への訪問を繰り返しています。

まだまだ訪問したい集落がありますが、小集落だからこそなのか、双方向のやりとりの中でしか、本当に必要なものを聞くことができません。
時間をかけた対話の中で、関係性をまず築いてから・・・というのがとても大切だと感じています。

明朝第3陣が戻ります。
その翌朝には第4陣が出発します。

多くの方の支援のおかげで、本当に迅速に細やかな動き、大きな団体が入りにくい隙間への支援ができています。
ありがたい気持ちでいっぱいです。

現地の方にも、ここまでやってきているのは私たちだけだけど、
私たちの後ろには、すっごーーーいたくさんの人がつながっています。
と、言っています。
これから報告がんばりますので、引き続きご支援お願いします。


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