たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

人でいる間に

人である間が人間だと
あちらに戻られた赤ちゃんに教わりました。


昔の同居人というのは、不思議なもので、
本当の家族のように思える人がいるのです。

離れた家族とは、どんなものかと言うと、
(私の場合、)たとえば、子どもを置いてその人(とそのパートナー)が死んだとしたら、
ほとんど無条件にその子をもらいますと申し出るだろう相手。

もしも、天災や人災にあったら、
何をも差し置いて、
ほとんど無条件で助けになりたいであろう相手。

(最初からよく知っていたワケじゃないのに
こんな気持ちになるんだから、
結婚相手というのも、その程度で決めてもイイのかもしれない。
共に暮らすうちに、家族になる。)
 ↑最近のもっぱらの関心事は自分がどんな人といるか。ってこと。

ともあれ、私の大事な元同居人。
子どもができて、なおのこと親戚の気分である。

この夏、娘とおなかの子と3人でうちにきた。
そのお腹の子が、出産(誕生)を目前にして、
むこうに戻られた。

娘は、赤ちゃんが出てきたら、靴をはかせてあげるんだ!とか、
いろいろ話してくれてたもんだから、
私としちゃー、孫の増えていくおばあさんになった気分で、
うれしくてたまらなかったのだけど、
それが、お預けになったものだから、
もう泣けて泣けてたまらんかった。

人間側のエゴかもしれんけど、
もう、とっても会いたかったもんだから、泣けて泣けてたまらんかった。

家族の方は、赤ちゃんからとてもあたたかいものを受けとっていて、
とても穏やかに静かにあたたかな愛に包まれて過ごしているようだった。
それを聞いて、だいぶ安心したし、
何より、娘によれば、赤ちゃんはお空に帰ったんだけど、また来るって!
とのことなので、それを聞いて、また安心した。

だけど、その時に私が赤ちゃんの方から受け取ったのは、
人である間が人間
ってこと。

人でいる間に何をするか。

大きなメッセージ残していってくれた。
また会う日まで、恥ずかしくない様にありたいわ。


弟からの誕生日ギフトは、
LAMYのブルーのペンだった。

メッセージには、
書くことが好きなはるかにって内容があった。
自分の想いをどんどん可視化してくださいって言葉もあった。

私は、多くの贈り物を受け取っているけれど、
それは、一つには、私がモノを大事にすることを学ぶためだと、ある人に言われた。

今回は、それに加えて、このペンを使うこと、日常にあることで、想いを書きとめることを意識させてもらえる。
書きとめる癖をもっと付けないといけない。

現に書きとめたことの多くは、先の自分へのメッセージになっているわけだから。

人でいる間の成長は、自分に甘すぎる私には容易じゃないけど、少なくとも書きとめることに意味はある。