たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

リビアのこと とか

32歳の誕生日に、3月上旬に書いていたリビアのこと というメモをここに貼りつけた。

その翌日、カダフィ大佐は撃たれて死んだ。
それがリビアに全く新しい何かをもたらした。

偶然とは言うけれど、私としては、偶然では片づけられない。

突然ブログを書きだしたので、みんながえらい心配をしてくれて、すまないのぉ。ありがとうよ。

アウトプットができるようになってきたのは、よいことです。
快方に向かっている実感がある。

その前にインプットができるようになった。

何も心配しなくてよいのよ。
だけど、一応経緯を書いておこう。
いつか、自分がまた元気になりすぎて、驕った生き方をしたときのために。


31歳は平和に暮らしていた。
仕事も楽しくて、友達とも楽しくて。
彼とも仲良くやっていて、彼という前に親友のようななんでも話せる人として、大事にしながら、議論するのもホントに楽しかった。

それで311が起きて、いろんな活動に明け暮れた。
話題は全て被災地支援になった。
被災地でかけがえのないものを得た。得続けた。今も得ている。
京都の暮らしと被災地での活動のギャップで、ある時、ヤバいな?って思った。
気がついたら、友達が全力で止めてくれてた。
被災地が問題なんじゃない。この「差」が問題なんだ。
この歴史的な出来事に遭遇した、全ての人が一度は被災地に入ればいいのにと内心思った。
そうでないから、トンチンカンなことを色々聞いてきたり、話したくなかったりするんだ!と思った。

なんかしら、ネガティブに考えて、何しても涙が出てくる。

あーはるか、疲れたんだな、と思って、コレがココロの風邪かぁと思って、行くのを少し控えたり、地球に入院したりした。
んで、この間ずっと彼に八つ当たりするようになった。
そんで、その間、ずっと泣けていた。

それで、その後、最後の力を振り絞って、全力で彼と別れることに力を使って、あっさり別れた。いや、彼からしたらあっさりじゃなかった。

その後で、再発は二度と許されません。というミスを3度も続けておかしてしまった。
仕事場で朝から晩まで泣き続けたことは、後にも先にもこれっきりにしたい。

人と会いたくない。しゃべりたくない。
とっても限られた人としか会いたくない。
その、とっても限られた人には、全力で倒れこんだ。
許せ!と思いつつ、助けられてる。

311以降、インプットが難しくなった。
それが、少しインプットができるようになってきた。

小説を読む。本を読む。芝居を観る。映画を観る。

そんで、もう少しして、アウトプットができるようになってきた。
それが、はるかの場合は、このブログなんだなー。
ただの日記で、しょぼくっても、この場があることに意味があった。

お誕生日に、家族や友達からたくさんメッセージをもらった。
いつもいつももらってるんだけど、今年は特別にうれしかった。そのありがたさがわかった。
愛されてることの実感は、何よりの栄養だなと心と身体でわかった。
自分の中のおごった気持ちが少し減って、みんなへの感謝が湧いてきた。

23歳の、京都で初めて迎えた誕生日は、えりが、大学時代のみんなに連絡をしてくれていて、いろんなところから一日中電話がなった。
ケータイを持っていなかったから、家の電話がたくさんなって、おめでとうの言葉がうれしかった。
その時のことが10年経っても、届いてきた。
愛情ってのは、時を超えられるんだと思った。

そして、愛情ってのは、あったかいもんだと思った。

はるかがはるかのまんまでいいよってことをみんなが言ってくれたのは、愛されていることだと解釈した。

アタマとココロとカラダがバラバラになって、しんどかったけど、
それをひとつにしてくれるのは、私自身じゃなくて、みんなから愛されているという実感だった。

いろんなことがわかった。
もう少し時間がかかるけど、
私は元気です。
人生を謳歌している心の活気があります。