たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

25th バースデイ

誕生日の朝、ちょっと寝坊気味だったけど、せっかくの25歳の幕開けだし!と思って、短い時間座った。
 朝の瞑想は、いつも雑念だらけで、3つも数えられない。
 小田まゆみさんからならった瞑想法はいろいろあるけれど、座る瞑想は、ただ息をするだけ、「吸ってるな。吐いてるな」を見るだけ。それを数える。ひと~つ。ふた~つ。とぉまでいったら、またひとつにもどる。でもいつもたいてい「とぉ」まで行かず、またひとつからを繰り返すことになる。こうして、脳みそのゴミたちが、自分のピラミッドの底の方に降りるのを手伝う。

 誕生日の朝は、よし!25まで数えてみよう!と思った。
 最初の25は、その歳を想った。誕生日を思い出したり。
 ひとぉつの誕生日は、写真がある。いろんな国籍の人の中で、うれしそうにもらったプレゼントを持っているんだよ。
 ななぁつの誕生日は、おかあさんが、ともだちをまとめていてくれて、はるかをサプライズさせてくれた。
 14の誕生日は、朝から学校中の人におめでとう♪を言われた。100人くらい。お昼休みにゆちとのぐちゃんとしーちゃんが、「うちらからの誕生日プレゼントなんだと思う?みんなからのおめでとうだよ」って。
 20の誕生日は、翌日のスライドショー「この星のエコロジストたちの詩」の主催者だったから、準備に躍起になっていたのに、いえのかぎがなくて入れなくて、同居人たちがなかなか帰ってこなくって、帰ってきたときには、「準備で忙しいのに、なんで手伝ってくんないんだよ~!」って怒って泣いた。寝ている間に、プレゼントがおふとんのところにおいてあった。片道4時間かけて、手作りの下駄職人のところから下駄を買ってきてくれてたり。。。そしてこの晩、はるかはリビアに行くんだ!って決めた。

22の誕生日は、デンマークで世界中の友達と過ごした。ダイニングに夕飯を食べに行ったら、その日誕生日のJOYとはるかを待っていたのは、みんなからの山のようなカードとプレゼント、それにパレスチナ人のコックさんアイマンの特製ケーキ。電気が消えて、黒い肌のJOYのところには、ハンガリー人のPeterが、黄色い肌のはるかのところには、南アフリカのAndileが来て、全員の前で、踊った。最悪に恥ずかしかった。けど、一生忘れない。