たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

To Communicate is to Start Understanding

最近仕事でイラストレーターを使っていて、眼がたまらなく疲れる。ので帰ってまでコンピューターに向かいたくない。というのが正直なところ。
 でも書きたいことは、くだらないなりにあるわけで。。。

 昨日は、イラクで拘束されていた人の一人で、ジャーナリストの安田純平さんの話を聞きに行った。
 あまりに楽しみにしていて、先週間違って一週間早く行ってしまったほど。ハハ

 彼の話を聞いて、最後に思ったのは、彼が言うように彼らが生きて帰ってきたのは、ひとつには彼らがガンを所持していなかったから。というのと、もうひとつは、彼のコミュニケートしようとしたところだと思う。人徳というか、そんな生やさしいもんじゃなかろうが。。。

 安田さんは言っていた。 
 ケースごとに分けて考えたり取り扱わなくっちゃならないって。
 「テロリスト」という言葉は、人びとに感情的に悪のイメージを起こさせる。
 ほとんど反射的に。
 その単語を、すべてにおいて使うことで、あらゆるケースをひとくくりにし、惑わせ、私たちが自分たちで思考して判断する力をなくしている。
 たとえば彼ら2人が拘束されたのは、ある自治区のようなところで、彼が接触したほとんどは農民だったという。(詳細は著書を)
 自己責任という日本語しかり。
 自分で判断する前に、政府が言い、それに追随するメディアが言い、いつのまにか同じように自分も話している。あぁ。これ洗脳という。

 日本人はきっとあまり得意じゃないんだ。外来語を輸入するときもちゃんとちゃんと概念もしっかり輸入しないと言葉が先走りする。見事に。
 たとえばスローなんちゃらはわかりやすい。スローフードに始まり、スローライフ、スロービジネス、スローアート・・・。
 本意をおきざりにして、あわてて飛びつく人の多いこと。