たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

璉じょう寺(れんじょうじ)と比叡山横川(よかわ)恵心院(えしんいん)

自分がバラバラになったということで、
なんとかひとつになるために、
なんとかチューニングがうまくいくように、
ここ数カ月いろいろと自分なりの努力はしているのです。

まず最初に行ったワークショップは、
「私はどう他者の悲しみによりそうのか」というワークショップ。
大阪のお寺でありました。

毎年やってはって、毎度テーマがあります。
以前、自死の遺族というテーマがあったときに、関心があったけど、
踏み出せなかった。

今回は、被災地支援をしている人も対象になっていて、参加。
ありがたかった。

それから、マントラを唱えるチャンティング(ヒーリング)サークルに3度参加した。
歌を歌うことは気持ちがいい。
オーストラリアから来たミュージシャンのケビンは、以前うちに宿泊がしたことがある。
今回は、半年の活動お疲れ様ということで、チームサケのためにチャリティで、サークルを用意してくれた。
その時には、頭と顔の半分の皮膚がはがれて取れて行く感じがした。
身体のほんの一部の脱皮のような。
それが1回目で、気持ちよかったので、その後もう2回参加した。


それから、奈良の璉珹寺(れんじょうじ)での女神塾。
気功をしたり、ヨガをしたり、座禅をしたり、ウォーキングメディテーションをしたり。
小田まゆみさんの久しぶりのワークショップだった。
そして、曼荼羅を描いた。
曼荼羅は、久しぶりに描いた。
画材が豊かで、とっても遊びながらで、たのしかった。

1日目、私は奈良に泊まらず、家まで帰った。
その道中で、璉珹寺でもらった璉珹寺通信を読んだ。

・・・
璉珹寺ってすごいお寺で、御本尊の阿弥陀さんが女性なのです。
そして、彼女は裸なのだ。
さらに、袴をつけてはるのだけど、それを取り替える50年に一度しか御開扉されないという。
こんな方は、日本におひとりらしい。
最近は、50年の5をとって、5月の間は、御開扉されているとのこと。
・・・

ほんで、通信を読んで驚いたのは、
この阿弥陀様は恵心僧都が作ったという。

恵心僧都というと、この前行った比叡山で、たまったま入った恵心院というお寺の方。

驚くのはここからで。

その日、私はひどい機嫌の悪さで、彼と友人と3人で比叡山へ行った。
これまでに何度もこの3人で山やお寺を巡ったけれど、
この日の終わりに、私は初めて、友人に一蹴された。
「はるかは、山登りが好きじゃないなら、来なければいい。来るなら文句を言わずに登れ!」と。
とにかく、私は道中ずっと文句たれたれなのだ。

ともあれ、昼間、比叡山の横川の中でも一番端にあった恵心院に着いた。
なかなか気持ちの良いところで、お参りに本堂まで歩いた。
住職らしき人がいて、どうぞ中まで。と言われたので、
御本尊のまんまえまであがらせてもらい、3人で座って手を合わせた。

すると、

「何か感じはりますか?」

私ら「いえ。特になにも。」

「いや、この御本尊は、月に一度、私が掃除で来るときに2,3時間光を入れるだけで、普段は本堂が閉まっているので、あなたたちは、何かご縁があったのかなと思いましてね。」

私ら「へぇ~。それはラッキーな。ありがたいご縁ですね。」

「実は、私は住職でも檀家でもない者なんです。ある日、夢にここの御本尊が出てきて、比叡山の横川の恵心院にいるから、開けに来てくれと。そんなお寺知りませんでしたけど、調べたらあるもんだから、宗派も違うけれど、やってきました。それで、月1程度で光を入れてほしいと言われたので、願い出て、この役をたまわっているのです。」

私ら「えー?そないなことがあるんですかねー?」

「それでまた、いついつの作品だとか、私がこうして偶然お会いできた方なんかに解説した日には、そんなことは言わんでよろしい。と、叱りにきはるのです。」

私ら「えー?また現れるのですか?」

「私が余計なことをすると、毎度毎度言われるのですよ。念仏を唱えるだけで、済むはずがない。日々五戒を守って生きるように努力することがなにより。その積み重ねですよと。」
「また、お寺に行ったなら、本尊に手を合わせて帰るのではなく、和尚と会えば、必ず問いなさい。だまって帰らずに対話を繰り返しなさい。と。」

私らは、そうして、その後に行ったお寺で、いろいろ話しかけてみたりした。
とりあえず、幻の様なおもしろい体験をした。

そんで、今度は、奈良のお寺で素晴らしい阿弥陀如来に出会ったところで、それを作った張本人が恵心僧都だというから、もう、世の中ワケわかめです。

でも、とりあえずご縁です。
ありがたい。