璉じょう寺(れんじょうじ)と比叡山横川(よかわ)恵心院(えしんいん)
自分がバラバラになったということで、
なんとかひとつになるために、
なんとかチューニングがうまくいくように、
ここ数カ月いろいろと自分なりの努力はしているのです。
まず最初に行ったワークショップは、
「私はどう他者の悲しみによりそうのか」というワークショップ。
大阪のお寺でありました。
毎年やってはって、毎度テーマがあります。
以前、自死の遺族というテーマがあったときに、関心があったけど、
踏み出せなかった。
今回は、被災地支援をしている人も対象になっていて、参加。
ありがたかった。
それから、マントラを唱えるチャンティング(ヒーリング)サークルに3度参加した。
歌を歌うことは気持ちがいい。
オーストラリアから来たミュージシャンのケビンは、以前うちに宿泊がしたことがある。
今回は、半年の活動お疲れ様ということで、チームサケのためにチャリティで、サークルを用意してくれた。
その時には、頭と顔の半分の皮膚がはがれて取れて行く感じがした。
身体のほんの一部の脱皮のような。
それが1回目で、気持ちよかったので、その後もう2回参加した。
それから、奈良の璉珹寺(れんじょうじ)での女神塾。
気功をしたり、ヨガをしたり、座禅をしたり、ウォーキングメディテーションをしたり。
小田まゆみさんの久しぶりのワークショップだった。
そして、曼荼羅を描いた。
曼荼羅は、久しぶりに描いた。
画材が豊かで、とっても遊びながらで、たのしかった。
1日目、私は奈良に泊まらず、家まで帰った。
その道中で、璉珹寺でもらった璉珹寺通信を読んだ。
・・・
璉珹寺ってすごいお寺で、御本尊の阿弥陀さんが女性なのです。
そして、彼女は裸なのだ。
さらに、袴をつけてはるのだけど、それを取り替える50年に一度しか御開扉されないという。
こんな方は、日本におひとりらしい。
最近は、50年の5をとって、5月の間は、御開扉されているとのこと。
・・・
ほんで、通信を読んで驚いたのは、
この阿弥陀様は恵心僧都が作ったという。
恵心僧都というと、この前行った比叡山で、たまったま入った恵心院というお寺の方。
驚くのはここからで。
その日、私はひどい機嫌の悪さで、彼と友人と3人で比叡山へ行った。
これまでに何度もこの3人で山やお寺を巡ったけれど、
この日の終わりに、私は初めて、友人に一蹴された。
「はるかは、山登りが好きじゃないなら、来なければいい。来るなら文句を言わずに登れ!」と。
とにかく、私は道中ずっと文句たれたれなのだ。
ともあれ、昼間、比叡山の横川の中でも一番端にあった恵心院に着いた。
なかなか気持ちの良いところで、お参りに本堂まで歩いた。
住職らしき人がいて、どうぞ中まで。と言われたので、
御本尊のまんまえまであがらせてもらい、3人で座って手を合わせた。
すると、
「何か感じはりますか?」
私ら「いえ。特になにも。」
「いや、この御本尊は、月に一度、私が掃除で来るときに2,3時間光を入れるだけで、普段は本堂が閉まっているので、あなたたちは、何かご縁があったのかなと思いましてね。」
私ら「へぇ~。それはラッキーな。ありがたいご縁ですね。」
「実は、私は住職でも檀家でもない者なんです。ある日、夢にここの御本尊が出てきて、比叡山の横川の恵心院にいるから、開けに来てくれと。そんなお寺知りませんでしたけど、調べたらあるもんだから、宗派も違うけれど、やってきました。それで、月1程度で光を入れてほしいと言われたので、願い出て、この役をたまわっているのです。」
私ら「えー?そないなことがあるんですかねー?」
「それでまた、いついつの作品だとか、私がこうして偶然お会いできた方なんかに解説した日には、そんなことは言わんでよろしい。と、叱りにきはるのです。」
私ら「えー?また現れるのですか?」
「私が余計なことをすると、毎度毎度言われるのですよ。念仏を唱えるだけで、済むはずがない。日々五戒を守って生きるように努力することがなにより。その積み重ねですよと。」
「また、お寺に行ったなら、本尊に手を合わせて帰るのではなく、和尚と会えば、必ず問いなさい。だまって帰らずに対話を繰り返しなさい。と。」
私らは、そうして、その後に行ったお寺で、いろいろ話しかけてみたりした。
とりあえず、幻の様なおもしろい体験をした。
そんで、今度は、奈良のお寺で素晴らしい阿弥陀如来に出会ったところで、それを作った張本人が恵心僧都だというから、もう、世の中ワケわかめです。
でも、とりあえずご縁です。
ありがたい。
なんとかひとつになるために、
なんとかチューニングがうまくいくように、
ここ数カ月いろいろと自分なりの努力はしているのです。
まず最初に行ったワークショップは、
「私はどう他者の悲しみによりそうのか」というワークショップ。
大阪のお寺でありました。
毎年やってはって、毎度テーマがあります。
以前、自死の遺族というテーマがあったときに、関心があったけど、
踏み出せなかった。
今回は、被災地支援をしている人も対象になっていて、参加。
ありがたかった。
それから、マントラを唱えるチャンティング(ヒーリング)サークルに3度参加した。
歌を歌うことは気持ちがいい。
オーストラリアから来たミュージシャンのケビンは、以前うちに宿泊がしたことがある。
今回は、半年の活動お疲れ様ということで、チームサケのためにチャリティで、サークルを用意してくれた。
その時には、頭と顔の半分の皮膚がはがれて取れて行く感じがした。
身体のほんの一部の脱皮のような。
それが1回目で、気持ちよかったので、その後もう2回参加した。
それから、奈良の璉珹寺(れんじょうじ)での女神塾。
気功をしたり、ヨガをしたり、座禅をしたり、ウォーキングメディテーションをしたり。
小田まゆみさんの久しぶりのワークショップだった。
そして、曼荼羅を描いた。
曼荼羅は、久しぶりに描いた。
画材が豊かで、とっても遊びながらで、たのしかった。
1日目、私は奈良に泊まらず、家まで帰った。
その道中で、璉珹寺でもらった璉珹寺通信を読んだ。
・・・
璉珹寺ってすごいお寺で、御本尊の阿弥陀さんが女性なのです。
そして、彼女は裸なのだ。
さらに、袴をつけてはるのだけど、それを取り替える50年に一度しか御開扉されないという。
こんな方は、日本におひとりらしい。
最近は、50年の5をとって、5月の間は、御開扉されているとのこと。
・・・
ほんで、通信を読んで驚いたのは、
この阿弥陀様は恵心僧都が作ったという。
恵心僧都というと、この前行った比叡山で、たまったま入った恵心院というお寺の方。
驚くのはここからで。
その日、私はひどい機嫌の悪さで、彼と友人と3人で比叡山へ行った。
これまでに何度もこの3人で山やお寺を巡ったけれど、
この日の終わりに、私は初めて、友人に一蹴された。
「はるかは、山登りが好きじゃないなら、来なければいい。来るなら文句を言わずに登れ!」と。
とにかく、私は道中ずっと文句たれたれなのだ。
ともあれ、昼間、比叡山の横川の中でも一番端にあった恵心院に着いた。
なかなか気持ちの良いところで、お参りに本堂まで歩いた。
住職らしき人がいて、どうぞ中まで。と言われたので、
御本尊のまんまえまであがらせてもらい、3人で座って手を合わせた。
すると、
「何か感じはりますか?」
私ら「いえ。特になにも。」
「いや、この御本尊は、月に一度、私が掃除で来るときに2,3時間光を入れるだけで、普段は本堂が閉まっているので、あなたたちは、何かご縁があったのかなと思いましてね。」
私ら「へぇ~。それはラッキーな。ありがたいご縁ですね。」
「実は、私は住職でも檀家でもない者なんです。ある日、夢にここの御本尊が出てきて、比叡山の横川の恵心院にいるから、開けに来てくれと。そんなお寺知りませんでしたけど、調べたらあるもんだから、宗派も違うけれど、やってきました。それで、月1程度で光を入れてほしいと言われたので、願い出て、この役をたまわっているのです。」
私ら「えー?そないなことがあるんですかねー?」
「それでまた、いついつの作品だとか、私がこうして偶然お会いできた方なんかに解説した日には、そんなことは言わんでよろしい。と、叱りにきはるのです。」
私ら「えー?また現れるのですか?」
「私が余計なことをすると、毎度毎度言われるのですよ。念仏を唱えるだけで、済むはずがない。日々五戒を守って生きるように努力することがなにより。その積み重ねですよと。」
「また、お寺に行ったなら、本尊に手を合わせて帰るのではなく、和尚と会えば、必ず問いなさい。だまって帰らずに対話を繰り返しなさい。と。」
私らは、そうして、その後に行ったお寺で、いろいろ話しかけてみたりした。
とりあえず、幻の様なおもしろい体験をした。
そんで、今度は、奈良のお寺で素晴らしい阿弥陀如来に出会ったところで、それを作った張本人が恵心僧都だというから、もう、世の中ワケわかめです。
でも、とりあえずご縁です。
ありがたい。