たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

Musubi助産院の【私のお産 思い出ノート】に書いた内容 

musubi助産院の助産師塩見さん宛て

musubi助産院でこれからお世話になる妊婦さんが読むノート

 

 

2020.2.712

塩見さん、私たちの妊娠期、お産、そして産後のケアをずっと伴走して下さり、本当に感謝のキモチでいっぱいです。そこにはいつも“安心”がありました。

 

2月3日 0:43 なぎちゃん(胎児ネーム 今日の時点でまだ本名はなく)が誕生してから4日経って、今日はっきり分かったことは、【私が私らしくいること】が、どれ程 自然なお産にとって大切かということです。

初めて塩見さんに「妊婦としてするべきことは?」と聞いた時、塩見さんは「はるかさんと拓さんらしく過ごすことですよ」と言われました。私はその時、少し拍子抜けしたというか、もっと‘指導’があるかと思っていたので、“何も言わないタイプの助産師さんやな・・”みたいに思った覚えがあります。(笑)

でも、お産を経た今、私のアイデンティティを中心に、大切にしてくれたことが、全ての根っこになっていると感じるのです。例えば、私は私の名前がとても大事なんです。「はるかさん」と初めから呼ばれ、サポートの助産師さんたちにも当然のようにそう呼ばれていた事は、病院の出産では叶わないことなのかも!?と気づいた時にその重要性にハッとしました。私が私のままでずっといられるという安心感の上に今回のすばらしいお産があるんです。今になってやっと塩見さんの最初のアドバイスの大きさを実感しています。

 

<39歳で初めての妊娠 40歳で自宅出産、無事にできるかな?>

◎妊娠がわかった時・・・助産師安衣子さんにまず連絡して「私でも自宅出産できますか!?」と前のめりに。自分の周りの気の合う友人や学生時代に影響受けた人の中に自宅出産や助産院での出産経験者が多くいたことから、20代の頃より自分が出産するなら病院以外でというイメージが強かった。

 

◎塩見さんをご紹介頂いて・・・最終のお産の形態が自宅出産にならなくても良いこと、そこにはこだわらないが目指すのは自宅出産でその方向を向いていきたいと伝える。不安な点(提携の済生会病院が夫にとって少し遠いこと、自分に体力がないことなど)を共有。

 

◎妊娠初期・・・ひたすら眠いつわりに見舞われる。眠気のままに眠る日々・・・ それ以外のつわりはほぼ皆無で、寝たい時に寝させてもらえる理解ある会社に感謝!
musubi
助産院転院までの南部産婦人科は、近所でかつなるべく自然な出産を目指す産院で、ここで産むことになっても大丈夫!と思えるところと認識、実感

 

◎妊娠中期・・・胎動がわかるようになって、なぎちゃんとのコミュニケーションが楽しくなった。一方で妊婦に慣れたのと仕事が忙しくなってきて、身体がキツイと感じること多々・・・。食べたいもの食べたくないものがはっきりする様に、本当は身体の休みたさも感じているのに、ないがしろにする自分を客観視していた。
興味のある情報(本、講座、動画etc)に触れたり、自宅出産した友人達に改めて話を聞いたりしてinputしてた。

 

◎逆子の間・・・オーバーワークがたたったのか、逆子元に戻らず・・・。心身共にキツさmax!「今、起きていることには全て意味がアル」と考える私は、ひとまずお腹が張らん様に無理しない、自分の信頼している人やものに触れることでじたばた。

塩見さんの配慮で、済生会から南部産婦人科に転院

逆子体操@家、トコ助産院の骨盤、背骨の施術、16年通っている気功教室の治療からの南部先生の外回転術(当日は、お腹をやわらかくする施術を1時間受けてから、ゆっくりリラックス状態でウテメリン=張り止め点滴、先生がエコーで何回もていねいに慎重にデータを見定めてからのグイグイ押し)わずか1分2分程度で、くるりんぱ!と戻ってくれて(涙)世界が違って見えた!musubi助産院に舞い戻れることが本当にうれしかった!!

 

◎臨月・・・仕事もだいたい片が付き、安産に向けて急にポジティブになれる。

逆子が戻った翌日に偶然、助産師安衣子さんに会い、「はるかさんの不安の全ては塩見さんが引き受けてくれるから、はるかさんはなーんにも心配せずにお産にのぞんだらいいんよ」と言って頂いたのが大きい。ネガティブ情報やネガティブな心配をしてくれる友人とは少し距離を置き、ポジティブな友人や自宅出産した友人たちと会ったり連絡したり、週5回気功の教室に通い、お産までに済ませておきたいことを1日1個ずつ程度やろうとしたり・・・ちょっと忙しい臨月で若干疲れていたかも。それを見て、塩見さんから「歩かなくっちゃ!!動かなくっちゃ!とムリにがんばらなくていいですよ。はるかさん、努力するの好きじゃないって言ってたでしょ。キモチ良いお天気だなー歩きたいなーと思ったら是非歩いて。」「はるかさんは最初から体力がないことを心配してたけど、お産にはリラックスもすごく大切です。もちろん体力があるに越したことはないけれど、リラックスを武器にすることもできますよ。」と言われました。また「おっぱいマッサージでもお腹を張らすことはできるので、そっちでいこう!」とも。

かくして、体力に自信のない40才初産婦としては、リラックスが武器になることを軸に、オーガニックやノンケミカルにこだわるライフスタイルをベースに、また自分に甘くておっぱいマッサージが弱々なので、夫に協力してもらって、当日を迎えることに。

 

出産予定日は 2/4 でしたが、少し遅れそうな感じもあり、何の根拠もないですが、私たちの中では満月の 2/9 あたりかな?と思っていました。部屋のレイアウトを大きくかえたりの作業で、かなりいろんなものが出っぱなし、整理前の状態で 2/2(日)の朝。

8:30 トイレに行くとおしるしが! 「おしるしって今日の出産の可能性もあるけど、1週間後の人もいるらしいし、はるかは1週間後タイプかもね」と未だに2/9予測にしがみつくw

9:30 マチ針で仮止めされたままの部屋の仕切りカーテンのすそをミシンで縫う。

夫には、2Fのミニキッチン(沐浴スペースも兼ねる)のそうじをお願いする。

11:00 夫にお願いしたいことが本能的に出てくる。紙ごみを出してほしい。1Fにあるあの椅子を2Fに持って上がってほしい。玄関をそうじしてほしい。お風呂に入れるようにしてほしい・・などなど。夫は「なんで?」と言わずに、全部言われるがまま?本能で?応えてくれた。

12:30 お昼ごはんの最中から生理痛のおもたいときの感じに。

疲れを感じて塩見さんに連絡した後、昼寝をする。

15:30 昼寝からさめると、お腹が張ってる時にアイタタタタと生理痛とは違う痛みに。痛みはすぐに遠のくものの、割とすぐに次の痛みがやってくる旨、塩見さんに伝える。

「ちょっと見に行きましょうか?」と言って頂き、それが安心する気がしてお願いする。

16:00 お風呂に入る。風呂場の時計で改めて間隔を計ると、5分毎に痛みが来てる!!でも痛いのは2030秒程度。あれ?これってお産始まってる?!

16:45 風呂から上がると、海(まある)助産院の宮川さんが先に到着。

そのまま診察して頂く。なぎちゃんの心音良好。子宮口は指2本分程度。宮川さんがなぎちゃんの頭に触れると、なぎちゃんがちょっと驚いた様子。頭はまだ横向きでそこまで下がってない感じ。これは割と予定日(2/4)通りにやってくるのかも?と思うが、陣痛来ると真剣に痛い・・・上に、宮川さんがさすってくれると超キモチ良い!

? 宮川さんが帰られた後、どの位経ってかわからないけど、塩見さん到着。ウトウトしてた。おふたりの間ですでに全て共有済み

19:30 塩見さんの問診では、子宮口がふわふわ、だいぶ下がってなぎちゃんの頭が近づいているとのこと。「これは明朝までに産まれそうです。私、このまま居ますね。」と言っていただき、「えっそうなん?!ほな予定日の前日に合わせてきたんか?!誰似や!?」とか思いながら、さすってもらうと超楽に。もっともっと強い痛みがもっともっと頻回に来ると聞き「マジでかー」とビビりつつ心の準備をしたり、夫にさすってもらうと、ありがたいと思いつつも「助産師さんのはもっとキモチいいし。呼吸1回分休んだりせんし!」と思ったり・・・(笑)

 

陣痛が始まったら、合間に気功の体操をしようとか、食べたり飲んだりしようと思っておにぎりやジュースを用意してもらっていたけれど、立つと気持ち悪く吐き気があるので、全くそんな雰囲気はなく、横向きで寝ていた。

ハタチの時に‘自然なお産’に出会ってから、分娩台であお向けに重力にさからって産むよりは、重力を活かして産みたい、うんこするのにあの姿勢でしたくないもん!とか思ってた割に重力活かそうとしてねぇーとかよぎった頃、塩見さんから「このままでももちろん産めるけど、時間はかかるかもしれない。身体起こして少し進める方法もあるよ」と言われ、「だよね・・・」と思って、昼間夫にお願いしていた1Fから持って上がった椅子にもたれかかった。ら、本当に陣痛は進み始めた。本当に寄せては返す波のように、来る来る来る!という感じで逃げることも止めることもできない自然の掟のようなものの中に入ってく感じがした。それからは、休むときはもっと低い椅子がいい!と2脚体勢で進めた。この間、自分の中心というかコアな部分に入っていって、黒い(暗い)太い柱の中みたいなところにいる感じがしていた。途中、サポートの助産師さん、宮川さんと谷川さんが到着された時、おふたり共、それぞれのやり方でごあいさつをされたんだけど、それがどちらも部屋に入る時の‘失礼します’って感じじゃなくて、私がいる意識の(柱の)中に、きっちり入ってあいさつしてくれる感じがして、すごく印象的です(どうしてあんなことができるんだろう・・・)とにかくおふたりの到着で私は更に安心感をおぼえました。(後から安衣子さんには、塩見さんの安心感がはるかにも伝わってるんだろうと言われ、きっとそうだろうな、と思いました。チームプレイなんだお産は!と。)

しばらくして、陣痛の合間に「休みたい、横になりたい!」という逃げのキモチが出てきた時、私の体力のなさや性格を‘重々承知’の塩見さんはまた「もちろん横になってもいいけど、少しお産は長引くかも。はるかさんすごく上手だから、このまま波に乗って行くこともできると思うよ」と言われ、「もう一歩ずつひざを拡げたら、自分でどこに力をいれたらいいか自然とわかると思うよ」と言われた時には、ひぇーーこれ以上拡げたらめっちゃしんどそうや・・・と思いながらも塩見さんを信じて恐る恐る拡げる、と、ホントに不思議!確かに何かを心得たような!?そこからは、また自分の中心に入っていって、途中一度なぎちゃんの頭を触らせてもらった他は、誕生の瞬間「はるかさんキャッチして!」と言われて我にかえるまで、自分の‘柱’の中にいた感じです。

赤ちゃんを胸に抱いた時、不思議なキモチと、思ったよりもずっと早く対面できて驚くキモチと、やったー!というキモチと色んなのがないまぜになっていました。

この間の全てに夫は参戦しており、特にお尻を左手で、私のもたれる椅子を右手でずっと支えてくれていて、まさに共にお産をした同志となりました。

2/3 0:43 なぎちゃん(仮称)誕生! 皆さんからの「おめでとうございます!」と言う声が部屋に響きました。

 

全てを終えて今 (2/12 生後9日目) 本当にぜいたくで豊かなお産だったと何度振り返っても思います。でも、その背後には、塩見さんが何十通りもの可能性を想定して準備して下さっていたこと、中でも私となぎちゃんのもつ自然の力を信じてくださっていたこと、その上での安産、かけがえのないすばらしいお産だったんだと心から感謝しています。ぜいたくなお産と形容したくなるのは、家族や同居人達、友人たちが祈ってくれる中でお産にのぞめたことはもちろんですが、1人の助産師さんがずっと妊娠、出産期にまるまるケアしてくれたことが、しかも毎回たっぷりの時間をとって何の不安もない中お産に至ったこと。6人の助産師さんたちが、私の陣痛がいつ始まってもかけつけられるように、この1ヶ月気にして下さっていること。お産中は、3人の助産師さん+夫が、「え?なんで今、そこをそうすると楽になるってわかるの?」と、されて初めてこちらが気づくようなことを次々してくださること。その過不足のないドンピシャな感じが、自分が姫だったように(笑) 思うのです。

お産も楽だったと思いますが、産後もいろいろ思ってたよりもずいぶんと楽です。全ては安心、リラックスの上にあると感謝しています。

 

一方で、お産中、何度か暗い中でよぎったのは、今、ひとりで出産してる人、精神的に孤独な中で出産してる人、こんなの聞いてなかった!と思うことなどで不安な中、出産している人たちのことでした。

また自分の出生も、母が25才の若さで79リビアトリポリで不安と孤独に包まれたものだったと、これまでの誕生日に断片的に聞いてきた話や、シータヒーリングをする友人から10年前に、私の細胞が母のトラウマを共有していること(その日が初めましてだったのに「え!?砂漠が見える!誕生にさかのぼったはずが、前世まで行ってもうたか!?と言われ、砂漠産まれを打ち明け、ビックリした)などから、自分の中のインナーチャイルドの私と母のトラウマの両方を凌駕するor包み込む体験をしている!!とよぎったりしました。

 

自宅出産を目指す(結果、そうならなかったとしても)最大のメリットは、「私の助産師さん My Midwife」ができるコトと、自分のお産に対してより主体的(ひとまかせでない)な点だと思います。私は恵まれていて、ハタチの頃から周りにサンプルがたくさんあり、その上自分も妊娠・出産できました。お産のカタチは人それぞれで、私が人にすすめるものでもないと思いますが、ひとつのお産のカタチとして語ることはできると思います。塩見さんや出会えた多くの助産師さんから得たことを言葉にしたいと思います。

 

なぎちゃんが誕生して、本当にうれしい。本当にかわいい。

私たちはとてもハッピーです。

これからは、彼がどんな人なのか知っていく楽しみがあります。

彼を信じて生きていく楽しみがあります。

musubi助産院で人生をスタートできて大きな力をもらっていると思います。感謝!!