たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

日本語を話す日本人でよかったと思う火曜日

火曜日は日本語教師養成講座の授業がある日で、たいていの授業は心からおもしろくて、一番前でぶんぶん頭をふってうなずきながら聞いている。

手段としての言語、文化としての言語、歴史として言語、アイデンティティとしての言語、表現方法としての言語・・・・

学習時間に換算すると、とうてい日本語教師になるのに必要な学習時間には足らないけれど、「めざすは教師」ではないので、それはそれは興味深い。関西圏内のいろいろな大学のいろんな専門の先生が代わる代わる来るので、昨日は【中国語と日本語】というタイトルで、中国語の先生がきたし、次回はコリア語だったかな?
いろんな言語と日本語との比較もおもしろいし、日本語の特徴を知っていくのもおもしろい。
半年やってきて、毎週火曜日に思うのは、「あぁ私は、日本語を話す日本人でよかった。本当によかった」と思う。
他の言語にはない日本語独特の特徴が結構ある。
もちろん敬語は他の言語でもあるけれど、日本語ほど多様ではないし、
主語の表現方法の多さや、文末に行くに従って自分の感情を込めることがよりリアルにできること

(Ex;今日図書館に行くわ。今日図書館に行こうっと。今日図書館に行こうかな。今日図書館に行くばい。今日図書館に行きまっせ。今日図書館に行こうかなぁ~。文末まで聞くと、なんとなく感情や個性のようなものがわかる。英語ならI'll go to the library. という決まった文句に副詞が多少飾られる。日本語はかなり無数に表現方法がある。)

主語を、私にするか、わしにするか、俺にするか、あたしにするかちゅうところに始まって、語尾の表現方法を、外国人として自分のものにしようかしたら、こりゃ何年あってもダメだよ。
敬語の習得なんて日本人でも間違うのに。

要は、これだけ興味深い言語を外国人として知ってしまったら、学んでみたくなるだろうけど、一生かかってしまうな、と思う。

わたしは、他のいろんなことに興味があるので、日本語学習にそれほど時間を費やしてはいられません。だから、今日もわたしが日本語を話す日本人であぁよかった。と思うわけ。

昨日の授業で一番おもしろかったのは、やっぱり客家(はっか)についてだね。
中国はそら、あれだけでかくて歴史があるんだから、おもしろくないわけないか。
デンマークでみたエコヴィレッジの原型のようなもの、中国の客家にありき。だね。
あぁ中国を学ぼうとしたら、一生じゃ足りないね。