たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

うちのキリくん

昨日の朝、天に召されましうちのキリくん。
17歳になってしばらくして。
いや、18歳になったんだったか・・。

数えてみれば、私が実家を出て15年近く。
つまり、2年ちょっとしか共に暮らしていなかったというわけ!?
物理的に一緒にいるかは、なんとも関係のないものなんだ、とわかりました。

不思議なことに、昨日一日、ずっと
大きな空が目の前に広がっていたようだった。

そして、なんでかどうしてか
繰り返し、自分の小さい頃の ある場面が 繰り返し 浮かぶ。

おかーさんと 晴れた日 芝生の上でのこと。
さっき買ったぷっちんプリン。(小さくて暗い個人商店だったように思う)
スプーンが入っていなかった。
え?食べられない!? って思った。
そうしたら ハハは「だいじょうぶ。このアルミの蓋でつくっちゃえばいいのよ♪」
そう言って、アルミの蓋を折って、スプーンを二つ作った。

はっきりと 温度感もあって 色もある 広い空が目の前に広がる
あの同じ場面が何度も浮かぶ。

なんでかなぁ。って思った。

あぁ、なんか ハハの愛情と工夫という共通項があるからかなと考えた。

キリ丸にとっての最期は、ハハが毎日すぅぷを作って飲ませていたと聞いた。


赤ちゃんでうちにやってきたときから
家族として過ごした日々
老いて、死に
いまや天にいる尊き存在

そのまるごとに接することは、大きな学びをもたらすのだろう。


ところで 私は 全くと言っていいほど キリ丸の世話をしなかった。
家にいないわけだから。
都合のイイやつ。
帰ってきた時だけ、かわいいかわいいと言って。

その私に、ハハが最近、介護が大変な頃に言ったことで結構ショックなのがある。

いや、その前に、2、3年前の出来事を書こう。

最初に、キリの先がもう長くないと言われた時、3年くらい前だったかな、
私は大慌てで実家に帰り、弟にも帰ってきてもらって、カメラマンを頼んで、
めかしこんで、家族写真を撮った。
 ・・その後、3年近くも生きたわけなんだけど。

その前後、もう片目の病気がひどくなってしまったとき。
ある獣医さんと母は険悪な雰囲気になった。

その獣医さん曰く「この目はもう腐っていくだけです。とても痛い状態です。
選択肢は3つです。くりぬいて義眼を入れる。くりぬいてそのままにする。
この状態で放置する。でも、飼い主として、この目のままだったり、
目がなかったりしたら恥ずかしいでしょう?義眼を入れることをオススメします。」

母 半ギレ(←当然)「家族なんだから、見た目のことなんて判断に全く関係しません。」

その後、やっぱり近所だというだけの獣医さんはダメだと再び変えたのだけど。

これが、3年くらい前の話。
わたしゃ、電話で聞いただけで、その獣医に対してのムカムカと、言われた母の
ハラワタ煮えくり返っただろうおもいに共振して、言葉がなかった。


そして、話は戻して
いよいよ残る時間3ヶ月って頃。

何かの拍子に、はるかが気軽に(キリを、犬を)「家族なんだから」と言ったとき。
介護がピークだっただろうハハから返された言葉は
「ペットはペットだよ。家族じゃないよ!ペットは家族を支える存在だよ。ペットが一番になることはないよ!
かい(←キリを引き寄せたうちの弟)だって、東京でがんばってる中で、「キリくんはまだがんばってるよ」「元気にしてるよ」って聞く方がいいでしょ?「悪くなってるよ」「死んじゃったよ」って聞くのは辛いでしょ。だから、私は毎日がんばって生かしてる。キリくんが一番なわけじゃないよ。家族が一番だよ!」

この時も、言葉が出なかった。


私たち家族に、キリ丸がいてくれたことは、いろんなことを変えていたと思う。
私たちの人生に彼が存在したことは、私たちの人生をとてもハッピーにした。
そして、彼はうちにきたことを幸せに思ってくれているだろうと信じてる。

キリが発ったのは、20年前に亡くなった伯父の誕生日と同じ12月13日。
私はその晩(昨日の晩)見た夢で、伯父とキリ丸が一緒にいたので安心した。
あ、会えたんだね。って思って。

愛することや愛されることをとても深く教えてくれた存在に 心からの感謝をこめて。