たんぽぽはるかの日常

39歳で初めて妊娠、40歳で自宅出産、41歳でエンジョイ育児。

はじめに なんで産前からそんなにがんばるの?

私は、1979年に北アフリカ、中東のリビアトリポリで生まれた。

現代であれば、帝王切開になるような胎盤が先に出ちゃうお産で一大事。
でも、当時のリビアではお構いなしに、平均台のような細い分娩台で、カダフィ大佐の畳大の肖像画に見下ろされながら(生まれて初めて見るモノがカダフィ大佐であるように設置され)、鉗子分娩で行われた。(赤ちゃんの頭をはさんで引っ張るヤツね)

外には臭い実がなっていて、その匂いの中で、母は私を出産し、やっと生まれた赤ちゃんは、取り上げられるようにどこかに連れて行かれ、19時05分に出生したんだから、今夜は入院したいと言っても、金曜の晩だから誰も居なくなる、と言われ、結局、母は真っ暗な病院で「私の赤ちゃんどこ?」と探したそうな。

男性の立ち会いは、イスラムの国では許されず(それでも母は父に立ち会ってほしかったのに)父はそんならば、と帰ってしまったため、さぞ孤独だったろうと思う。

 

タオルを2枚用意してと言われて、捨てていいようなタオルと、赤ちゃんをくるむための柔らかいタオルの2枚を用意したのに、なぜか見つけた赤ちゃんはゴワゴワの捨てるためのタオルにくるまれていたとか。

入院食はないからと、母のベッドの下には、赤ん坊用の粉ミルクの缶が置かれ、これを食べなさいとザンビア人の看護師に言われたそう。

 

母は25歳。異国の地で、鶏肉を食べるのにも市場で一羽買って来て、ニワトリのモモを切るのに、それがどうにも新生児の赤ちゃんの太ももと瓜二つで、調理するのに嘔吐していたと言っていた。

その後、私たちは、情勢が悪くなるリビアを出ることになったが、出国までの間、暑さだけなく、治安の問題で家からほとんど出れない生活をしていたらしい。コロナ渦の現代と少し似ているかもしれない。

 

現代日本では、赤ん坊が白いうんちをしたら、すぐに病院にかかるところだが、未熟で情報のなかった母は、赤ちゃんは白いミルクを飲むから白いうんちをするんだと思っていたらしい。

お腹の中から、長い長い寄生虫が出てきたこともある。

日本で小中高と過ごしたけれど、よく休む方だった。インフルエンザも人生で20回はやったと思う(これは、ちょっと好んでなってるところがあるんだけど)

母親が食事を徹底して安全なもので作り通してくれたけれど、なんだかベースが弱い感じ。エネルギッシュだけど、すぐにオーバーしてダウンする。

運動神経もよくないし、体力がない。気力とエネルギーはあるもんだから、なんとか楽しい人生だけど。

その点、弟は、同じ親に生まれたが、日本で元気に生まれて、オーガニックに育てられた。

 

(つづく)