人生に革命を起こす。台所革命!
赤ん坊が大きくなる前に、そろそろ顔見に行っていいかな?って、友達から連絡があったので、それなら、松尾大社まで一緒に散歩に行こうか?ということになっていた。
友達が10時にやってきて、昨晩眠れなくなった私の革命に関する妄想を打ち明けた。
1.キッチンのものを全て、ひとつ残らず隣の部屋に移す
その際、素材別に分類しておく。(食品、電化製品、陶器、プラ製、ステンレス製、ガラス製、木製、紙製のように)
2.キッチンの拭き掃除をする
3.1週間かけて、必要なものを隣の部屋の”商店”から買うつもりで選ぶ
4.選んだものをどこに置くか考える
5.選ばれなかったものを譲る、捨てる、しばらく保管する
友達は「おもしろそう」と言ってくれた。
ここで、松尾大社への散歩はなくなった。汚れてのよいエプロンを渡し、唐突に作業日と化した。
交通費程度の薄謝を渡し、その後1週間、毎日のようにごはんを食べに来てもらうことにした。
息子をおんぶし、大人3人で、黙々と隣の部屋にものを動かす。
素材別なので、これって何に使うもの?と確認する必要がない。
食器、調理器具 など用途別に分類しようとすると、必ず、これが何であるかを確認したくなる場面が出てくると思ったので、素材別を徹底した。
これが、なかなかよかった。
実際に、迷うことなく、ただひたすら分類が可能で、15分ごとに写真を撮ろうと言っていたが、最初の15分で相当な分量が移動した。
すごくおもしろいプロセスだったので、定点で動画を撮るべきだった。
そして、全てのものが出ると、掃除を気持ちよくできた。
更に、引っ越しの場合、持ってきたものをどう収納するかを考えなくちゃいけないけれど、今回は、必要なものを隣の部屋の”商店”で”買い物”するわけなので、それをやってから、必要なものだけをどう収納するか考えたら良いという点でも、すごくよかった。
最初のお茶休憩のための時間
やかんくださーい。急須くださーい。あれ、どっちにしようかな。
コップくださーい。ガラス屋さんでゲットしようか。陶器屋さんでゲットしようか。
てな具合。
同様に、最初の食事を作る時、
包丁くださーい。まな板どれにしようかな。
乾物はどちらを・・。
などとごっこ遊びをやって。
翌日もその翌日も。
あの鍋は将来的に必要だから、今日はパスタやっとこ。てな感じで、
結局10日間かけて隣の”商店”から本当に必要なものだけを救いだした。
土鍋やかき氷メーカー餅つき器など季節のものは、最大限の想像力で判断した。
残ったものは、更に隣の部屋にお店を広げて、同居人やこの間くるお客さんたちにもらってもらった。
路地の先に「ご自由にお持ち下さいコーナー」を作って、道行く人にもらってもらった。
斯くして、片付けられない女40歳の人生に本当に革命が起きました。
相変わらず散らかってはいるんだけど、すごく使いやすいキッチンになった!
つかまり立ちする息子対策で、モノの位置を大きく検討し直すこともできた。
断捨離のやり方やミニマリストの本を読んでも、どうしても共感できなかったのが、「捨てる」という行為。
このモノたちは、私たちに何かを教えてくれることで役割を終えるんだろうか。
ものすごい資源を使ってここにいるのに、自分の生活を快適にするためだけに捨てていいのだろうか。
現に、息子のおもちゃは、過去の要らないものたちから、いろいろ作っているじゃないか。
使い捨てのものであっても、せめてもう一度何かに使ってから捨てたい。
タッパーが食品用のタッパーとして機能しなくなったとしても、それ以外の方法でもう一度だけ活躍させてから処分したい。
ときめくかどうかではなくて、必要なものを買い物する感覚でモノを選んだ場合、
残ったモノたちは、本来の使い方をさせるには魅力がなかったけれど、
別の方法で使える感じがすごくした。
たとえば、これまでお玉や菜箸を入れていたIKEAのステンレスの穴開きツールスタンド。
今回ツールスタンドは、細めの空き瓶にした。
IKEAのツールスタンドは、生ごみ入れにした。(三角コーナーはリタイヤ。「どうぞご自由にお持ち下さい」コーナーに置いたらすぐになくなった。)
そんな風な発想が起きやすかった。
片付けが苦手、嫌い。モノの住所がうまく決められない。
モノが出しっぱなし、モノであふれっぱなしの人生に、少し革命が起きた。
きれい好きの夫もにっこり。
次は、洋服だよね・・。